俺のスコティシュ・フォールド

 今年の夏のはじめ、女房が半分仕事がらみで2週間ほどフランスへ出掛けることになった。 
俺は上機嫌でニンマリしながら「どうぞ、ごゆっくり。たっぷり楽しんで下さい。」と送り出した。
とたん、俺は糸の切れた凧のようにフワリ、フワリと夜の街に徘徊し、放蕩の限りをつくしてやろうとたくらんだ。 血湧き、肉踊るほどにワクワクした。
 だが、こと現実は甘くなかった。
 ひとり、街に出掛け飲み始めると、酒の巡りが早くて、たちまちのうちに酩酊して呂律がまわらなくなる。 女を口説くのに「アーアー、エーエー」じゃあ、どんな慈悲深い人でも逃げ出してしまう。 挙句、恐ろしいほどの睡魔に犯されて、ようようの体で家路につくありさま。 俺は自分の肉体の現実を突きつけられた。

 そんな頃、立ち寄ったホームセンターのペット売り場を気紛れにながめていた時、一匹の子猫が首をかしげて俺をジッーと見つめている。 動かない、鳴きもしない、じゃれ動く気配もなく、その子猫は矢を放った。

 愛らしい瞳が俺を魅惑する。 不安げで弱々しいその生き物は奇跡の言葉を放った。「ワタシヲツレテカエッテ」と。

 その夜から、俺の生活は一変し、小動物の気紛れと我儘と悪戯に振りまわされ、下僕と化した。 世間にかしずいて、女房子供にかしずいて、はたまた猫ごときにまでかしずいて、一体、俺の人生の何たる「不甲斐」ないことよと、闇に自問自答した。
 引き受けた命、もはや退くわけにはいかぬ。 俺の限りをつくすだけだ。
 小さなマンションの一室は小動物のための壮麗な宮殿となり、人間の生活領域がどしどし侵食されていく。 だが、何事に対してもかしずくは人生の知恵の一つであると悟った。

≪追記≫
 フランスから帰った、その日から女房は猫にはまった。 人間の子育ては人並みに成し遂げたと思っているが、猫に対しては完全に過干渉、過保護、実に先々が不安である。 やがて、俺は無視され、居場所を失い、「エーエー、アーアー」言いながらも夜の街に放り出されるのか。

 リーマンブラザーズの崩壊からの経済、金融界を襲ったすざましい嵐。
 バサラにもその風は吹きすさび、近頃、スーツ、ネクタイ姿のビジネスマンの人々がめっきり少なくなった。 世界の経済は小さな、小さな酒場にも反映されるのである。


トップページへもどる

直線上に配置