松葉杖の男

 あなたは、初対面の人からいきなり個人的な履歴を聞かされたら、どのように対処しますか。 惚れた女のことならば、男はどんな些細な事だって知りたい。 一日の行いのすべて、氏素性、はたまた死後の行末まで、どこまでも。
 だが、何者かもわからぬ50を過ぎた男、名前すら知らぬ者、だったらどうか。 名前も仕事も、俺にとっては余計なことだ。 ところが、男は雄弁に己を語る。 仕事の遍歴、渡り歩いてきた会社のことなどを。 そして話は次第に批判と誹謗へと向きを変えていく。 会社、上司、友人がその俎上に載せられ矢継ぎ早に断罪されていく。
 “聞き苦しい”
男は酒と自分の言葉に酔っていた。

 脚の不自由を乗り越えて、松葉杖をあやつり、ためらいながら店の中に入って来た時は、心に温かい気持ちを抱いて迎えた。 障害のある人が、婆娑羅にはたびたびやって来る。 しかし、俺は構えない。 格別な親切もしない。 そうすることが健常の我等と隔てない最良の付き合い方だと考えている。 松葉杖での移動が大変だろうから、入口近くの席を勧めた。 飲むとトイレは近いのかとも聞いた。 「その気遣いはいりません。人より我慢強いのです」 ということだった。 俺の気遣いはそれだけだった。

 男はよく飲んだ。 よく喋った。 そしてよく愚痴った。 俺は諌めた。
「初対面の人間に、あんまり自分を語らない方がいいですよ」 「話が濃すぎます」。
「迷惑です」とまでは言わなかったが、迷惑だった。
弁舌は迷走しながらも、止むとことなく飛ばしていた。 内容はますます、偏見に満ちスリリングでやばかった。

 俺は脚の障害がこの人の心の有様をつくっているとは考えたくなかった。が、男は傷害を乗り越えているとは思えなかった。 男が持っている弁舌のエネルギーが外に向かい、世間と良好な付き合いが出来るように働けばよかったが、エネルギーは暗転して、世間を遠ざけた。

 語る相手がいようが、いまいが男は語る。 弁舌はこの男の業なのだ。
だから、おそらくはどこででも喋りまくる。 静かに酒に酔いながら、日々の光景をたぐり寄せる生活なら、男の隣には必ず、その話に耳を傾ける者が現れる。 一朝一夕にはいかないが、せっかく巡り会えた飲み屋なのに、以来、男は杖をついてやって来ない。

 初対面で大騒ぎした者は、再来しないというのが俺の経験則である。

 また、「うまい、うまい」 「いい店だ、いい店だ」と連呼する輩も再来しない。


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