2008年 春

 土曜日の夕暮れ時、七十四五歳にもなろうかとする老人4人が入って来た。
 よく飲み、よく食べ、よく語る。およそ死とは程遠い健啖ぶりである。
 聞くとはなしに、聞こえてくる話によると、老人4人組は50年も前に玉川上水の際にある伊藤忠商事の独身寮に青春を過ごしたという。今夜は若き日々の回想のときであり、酒と女にならした独身のうぬぼれ話大会であった。三鷹駅から5分ばかりのところに遊郭があったという。にんまりしながら話を聞いていると、俺に話を振ってきた。
「ダンナも、ずいぶん遊んだんじゃないの」
 遊郭があたりにあった話は承知していたが、俺が遊べる歳になる頃には、とっくのとうに消滅していた。
 老いても、その道楽ぶりの風情が消えていない、その4人の1人が「給料日が待ち遠しくてしょうがなかったなあ」と、今にも女のところに駆け込みそうに目をキラキラさせていた。

 女3人、年の頃50歳くらいか、まだ明るい夕暮れ時に来た。女が3人、それだけでかしましい。加えて仕事を現役でこなしているエネルギーがみなぎっている。知性の欠落した自信が女達を覆っていた。それは顔つきにも表れていた。御しがたい酔客ではないがうるさかった。
 静かで気品あふれる名店を気取る気持ちなど、俺にはさらさらない。飲み屋など、喧騒と酔っ払いの無礼は当たり前と心得ている。だからといって、あたり構わずにうるさい輩を放っておいてよいわけではない。
 俺は小さな声で女達だけに聞こえるように「まことに申し訳ありませんが、ここは小さな店ですから、もう少しボルテージを下げてください。」
 程なく女3人の邪な熱狂はおさまった。「やっぱり私達うるさかったのね」と小声でやっている。「でも、少し神経質なんじゃないの」

 このような女の狼藉者は店の責任で退治しなければ世のためにならぬと俺は心に誓った。
 なぜ、見目麗しくない女は、所作までも麗しくないのだろう。

いよいよ出始めた泉州の水ナス。

小ぶりのニシンは刺身がうまい。


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