ある日、ある所で、ある人に出くわした。 常々、会いたくないと思っているから、出くわしてしまったということになる。 その人は俺を嫌いだから、俺の顔を見て話してくれない。 うつむいて、テーブルに目を落としてブツブツと語る。 やがて、半年も前に店に来た事を言い出した。 この人は一年に一度来るか否かの人である。 だが、客であることには変わりない。 「バサラもあんなぬか漬けを出しているようじゃ、おしまいだな」と、いきなり刃を突きつけて来た。 嫌われている人から厭味を打ち込まれて、普段でいられるように俺は出来上がっていないが、まずは低調に気遣いして平謝りした。 「今度はもっとおいしいぬか漬けを出しますから、機嫌を直してまた来て下さい。」と、申し上げた。 横顔には満足気なゆとりが漂っていた。 その人は一年に一度の来店で、ぬか漬けしか注文していないことを俺は思い出した。 だが、客であることに変わりはないと、再び自分に言い聞かせた。 俺は他の人と歓談しつつも、その人が早くこの場から去ってくれることを祈っていた。 だが、そうはいかなかった。 「あれは、客に出せるようなぬか漬けじゃないね!」と、再びうつむいたままつぶやき出したのである。 おっしゃる通りです。 ごめんなさいねぇ、言ったついでに、暴発してしまった。 ええい、くどい、めめしい、だまれ、去れ。 周囲の人の驚きがはっきり読み取れた。 その人はだまったが去ってはくれなかった。 仕方なく、気まずくなった俺がそこを去った。 俺の日課は、糠床のまさぐりから始まる。 毎日、野菜を漬け込むと水分が増えて塩度がなくなる。 水分をすくれば、同時に塩度と糠床の力が弱くなる。 再び、塩と糠を加えて床を修正する。 すると、当然、前日と味が変わる。 夏の温度では、もっと変化がおびただしくなるから、冷蔵庫に入れたり、出したりして調整しなければならない。 なだめたり、慰めたり、はげましたりと、まるで放蕩息子をかかえているようなもの。 放っておくとすぐにぐれる。 だから、毎日の手始めに床に手を入れてまさぐるのである。 おいしくなりますように、と祈りながら。 すると、糠床の底深くから、例のあの人のつぶやきが聞こえてくるのだ。「あんな漬物出してるようじゃ、バサラも大したことねえな」 そうだ!いつなん時、あの人がやって来るかも知れぬ。 油断ない糠漬けを作り続けなければ。 また、トゲトゲしい言葉でさされるのは嫌だ。 あの人の呪いが糠床からふつふつと湧いてくる。 幸い俺の日常に、あの人のようにトゲトゲしい皮肉を発するものはいない。 もし、いたとしたら俺の心の闇から不気味な殺意がにじんで来るやも知れぬ。
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