もみじまんじゅう

 10年ほど前に早稲田大学のラグビー部で活躍していた 守屋泰宏 という選手がいた。卒業して東京ガスでもラグビーを続けられた。秩父宮で何回かゲームを見せていただいたが、直接の面識はない。そのかわり、守屋選手を育て上げたお父上をよく存じ上げている。

 来店はいつも遅い時刻だ。仕事がらみの酒席から解放され、三鷹駅に帰ってくると婆娑羅に寄って仕上げの一杯をうまそうに楽しむ。飄々として力みのないユーモラスな表情が、その仁徳を遺憾なく漂わせている。

 我が息子が小学校に入学した頃、そのお父上は「元気な坊やチャンに何か栄養のあるものを食べさせてよ。」と言って、千円札一枚をチップ代わりに差し出すのである。いわれのない金銭を受け取るのは心苦しいが、このお父上だけは断れない。心の底から優しい。

 それにしても、今時「何か栄養のあるものを・・・・」という台詞が自然と口をついて出てくるのには 思わず笑ってしまう。そして、息子が小学生ながらラグビーをやっていることを告げると、お父上の「何か栄養のあるものを・・・・」がますます増えた。

 出張帰りの手土産が自宅まで届かず、婆娑羅で止まってしまうのである。「もみじまんじゅう、坊やチャンに食べさせてよ。」と言って、ぽんと置いていく。一ヶ月も経たないでまた「坊やチャンに」と、もみじまんじゅうが置かれていく。

 そんな風に10年が経った。お父上は現役を退かれ、店に来る頻度が減ったが、時折の仕上げに飲む酒は変わらない。酒量は少なくなったが、うまそうに飲む姿は変わらない。俺は、老いていく男の理想を お父上からいただいた。

 “ひとりの酒、ゆっくりの酒、やわらかい笑いの酒、年相応の酒”
 それら諸処がお父上にはある。

さて、沢山、沢山のもみじまんじゅうを食べさせていただいた「坊やチャン」も、この年末は最後の花園となる。東京代表のチームとして、いかなる戦績を残せるか。その戦績が もみじまんじゅうのお礼にもなるのである。


 追記
 婆娑羅の年末は30日まで、新年は4日からの営業となります。

12月の市場の魚風景です


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