暮れも押しつまった頃、三鷹駅から少しはなれた住宅街のアパートの一室で殺しがあった。
殺された男は親切心があだとなって、流れ込んできた無宿者に殺された。 逃げた無宿者は身元が割れ、名前も顔写真も広く知られるところとなった。 そろそろ 桜の花が、と言われる今日この頃になっても、無宿者は行方知れずである。 昼の3時頃に店のドアを開ける者は、たいがいが色々な営業の人に限る。 その男は、一目で、そうではない特別の用件を感じさせた。 優しい笑い顔と地味な服装は 小学校の先生、それも低学年の子供達と、一緒に校庭でオニゴッコをしてくれるような先生のようであった。 男は警察手帳を差し出した。 そして 手配書を俺の眼の前にひろげた。 「この男が店に来たなんてことありませんかねぇ」 「25年もこの商売をやっていると、悪者か善人か、かたぎかわからん衆か、実直か不誠実か、瞬時にかぎつけるのも仕事のうちなのです。 だから、この男がもしこの店に来ていたら憶えています。」 と、言い切った。 優しい、それらしくない刑事は、深くうなずいて手配書を置いて帰っていった。 同じ日の夜7時頃、男が一人やって来た。 入ってきた瞬間に、極道のニオイを、俺はとらえた。 そこに規準はない。 人間の美醜を超えたところに漂うニオイである。 俺はやわらかく接した。 柳に風がたゆたうように、軽いフットワークで極道をとらえ 包み込んだ。 極道は酒にくわえ、自尊心を満たされ、酔いで相好をくずした。 尋ねたわけではないのに、放浪記まで語ってくれるに及んだ。 酒のコップを取るとき、腕の袖口から彫り物があざやかにのぞけた。 でも彫り物については無視した。 それは男の存在証明であり、よってたつ力の源なのである。 一晩中そんな話につき合うハメになるのはゴメンだ。 ほどなく、しこたま酔っぱらった極道は店を出て行った。 仕事を終えた深夜、一日を反芻した。 刑事と極道が交錯して甦ってきた。 何という今日一日か。 追う者と追われる者(極道は追われていない)のドラマチックな躍動が黒い波となって俺の頭の中で渦巻きはじけ散った。 そろそろ酒がまわってきた頃、刑事の一言が聞こえてきた。 「この男、前歯がないんです。」 確かに、極道も前歯がなかった。 妙に優しい笑顔の刑事と、どこまでも不遜で深い孤独から救われることのない極道の顔が二つ重なった。 “今朝の買い物” |