定年 間近か 男達の挽歌

少し前に 家族で南仏を旅した。
その時に立ち寄った “エクサン・プロヴァンス” という 街の風景が甦ってきた。

7月、婆娑羅のあるあたりは、深い緑におおわれている。 何をキザなこと言ってやがる と 言われそうだが、キザな程に このあたりの街路樹の緑が美しい。
そんなエクサン・プロヴァンスみたいなところにある飲屋の片隅で、男二人が吠えていた。

 会社の業績がはかばかしくない。早期退職をうながされた二人の男が激昂している。
「経営者の責任じゃねぇか」 「人をクズのように扱い」 「あんな汚ねぇ会社が出すハシタガネの退職金なんか受け取れるか」 「金じゃねぇんだ、誠意なんだ、俺が欲しいのは」

 飲むほどに、たかぶって発言が過激になり、退職金を拒否するなどと公言している。
明日 目がさめると すぐに撤回されるのではあるが、二人の怒りは相当なものであった。
そして、ほぼ3時間近く、堂々めぐりの愚痴話で終始していた。
 かいもく、わけを知らぬ俺の独断ではあるが、そのような者達だから、そのように処遇されてしまったのだろう と考えた。

 又、別の男 二人
 自らの意志で早期退職して、ゆったりした第二の人生を楽しもうと企てている。年金も退職金もあって、経済的な基盤がしっかりしているから、話にもゆとりがあってトゲがない。
「一日一日って、早いもんだねぇ」 「そう思っているうちに、何にもしないで一日が終る」 「女房が、今日は何処へ行くの? 何をするの? って、必ず朝飯のときに聞く」 「煙たがられてるねぇ」 「分かっちゃいるけど、そんなにせっつくなって思うよ」 「35年も勤めたんだぜぇ」
 二人の男は、夫婦のありようを再構築しなければならない。 企業戦士として華々しい多忙を生きてきた男達は、瞬時に交わす濃密な会話と、暗黙の理解によって、家の中の生活を営んできた。 だが、使いこなせない莫大な時間のかたまりが立ちはだかり、そこにいる必要のなかった夫婦二人が、いつもそこにいなければならなくなってしまった。
さて、どうする。 山登りでもするか。 犬でも飼うか。 夕方になれば婆娑羅にでも行くか。 と、いうことになる。

 「大沢さんって、いいねぇ。 定年がないから」 と、言われることもしばしばである。
いつまでも、いつまでも、永劫 働けということか。 その通りであるが、退職金も年金も当てにならぬ、流れに漂うような当てのないこの身は、老いてもなお、働くのである。

 酒場に男達の愚痴はつきものである。 男達の悲哀がわかるから 「酒は静かに飲むがよい」 などと、不粋なことを もう 俺は言わない。
笑って 静かに飲んで 泣け。

これが“エクサン・プロヴァンス”なのです。



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