谷中での お墓参りの 帰り 鶯谷に降りて 鍵屋によった。 昭和の初めからやっている 長い歴史 重厚なおもむきのある 居酒屋だ。 店で使われている器 道具 調理器具 は どれもが 清潔に使い込まれている。 いぶし銀のツヤが きらりと ひかる。 それらの物は 調度品として 飾られているのではない。 今 尚 達者な道具として 活躍しているのである。 我等 客は いながらにして昭和の息づかいを 感じ その頃の 酒の飲み方を 体現しているような 酔狂にはまる。 白い割烹着の 女の人が 寡黙に 無駄なく働いている。 そんなを 眺めながら 燗酒を またあをる。 古いことを 売りにしている店ではない。 使っているものが 古くなっても 使いつづけているから そうなっただけのことで 懐古趣味をにおわせる 安っぽい おもねりがない。 ここ 鍵屋に来れる というだけで 谷中の墓参りが うれしく 楽しくなった。 その故人もたいへんな 酒飲みだったから 草場のかげで ニンマリ許してくれていると 思う。 それにしても この店は 薄利な商売をしている。 酒 肴 それぞれの値段までも 昭和なのである。 この商いは このやり方で つづけていくのだ という ゆるぎない意志が ゆったりと 店の中に漂っている。 だから ここに来ると 俺は 自己確認できるのである。 そのせいか ここの酒は いつになく 俺を しこたま酔わせる。 今朝の仕入れ タコのあし 生きているうちに たっぷりの熱湯にくぐらせる。 タコは硬くなるが 内側は 全くの生である。 別に こしらえておいた 冷たい出汁に 一日漬け込む。 これが 婆娑羅の 煮たこの 刺身になる。 |