定かではないが七十二・三才になる中村登記夫さんは現役をはなれ、ジャーナリストから陶芸家の道を歩んでいる。 一ヶ月に一作品というペースで作品を造っている。酒盃や花瓶、そして動物をモデルにした置物など 大いに多才である。 その中村さんがある日、骨壷のようなものを包みから出した。 あっ!と思った。 中村さんの年齢になると 死がさしせまったものになるのか、具体性をもってせまってくるものなのか、まさに、その壷は骨壷であった。 私はコメントの言葉を探しあぐねた。どのような ほめ言葉が適当なのか。 「きれいに出来上がっていますね」 「中村さんの人生のようにきれいに出来上がっていると思います」 そんな言葉はあまりにも軽薄だと思った。己の死を思いながら壷を造っている中村さん。 実は深刻ではなかった。酒盃や花瓶と同じように、作陶の楽しみの中に骨壷もあったのである。 若い女性には酒盃など作ってプレゼントする。だが、私にはくれない。 若い女性と連れ立って飲みに出かける。だが、私はさそわれない。 静かで紳士だから安心というのは面白くない。そんな老人がもてる道理がない。 中村さんの旺盛な飲食いぶりを見ていると、スキャンダラスなエロスを内に秘めていると推察する。 老人同士の色恋沙汰は面白くない。もっともっと若い女達と遊べ。そして、もっと乱暴、狼藉な老人たれ。静で美しい老後などいう幻想は打ち砕け。 中村さんの後に私はいます。 |