インゲン豆 夏の思い出

 この夏は暑かったなぁーと誰彼となく口にする。 酷暑は嫌な残りものをばらまいて人々のくらしに汚点を残している。
 バサラに30年以上続いているかくれたベストメニューに「辛い白豆のトマトソース煮」 というのがある。 じっくり煮上げたトマトソースに北海道産の白いインゲン豆を合わせた唯一の洋風料理だ。 吞屋が作るイタリア風だからいい加減でいいわけがない。 根性たっぷり気合スパイスほどほどに、それはいつも常備しているメニューだ。 古くからの常連さんに人気があり来るたび必ず注文する一品でもある。

 この夏、予想もしない事態に遭遇した。
 30年来、白いインゲン豆は吉祥寺の土屋乾物店であつかわれている豆一筋だ。 海産物、多彩で豊かな豆類、上等からそうでない昆布まで質・量ともに一流の乾物店は長年そこに君臨している。 安心と信頼そして店には風格がそなわっている。 店の前に立つと品数の豊じょうにワクワクする。 いずれの商いもこうあるべきだなという手本を見るような心持ちになる。

 その日もいつものように白いインゲン豆750gをもとめにやって来た。
 数年前、あるじであった父上がなくなり店内の中央で忙しく仕切っているのは長女のヒロ子さんだ。(名は仮りのもの) 見目うるわしく、きびきびと立ち働く姿を、憧れを抱いてながめている者、きっと少なからずいると思う。 俺、少し気持ちが波打っている。 「ああ、さとられないように・・・。」

 今日も白いカッポウ着姿が美しいヒロ子さんの前に立った。
 「あっ あのう いつもの白インゲン豆おねがいします。 定量の750g。」 すると今日にかぎってヒロ子さんは、いつものはじけるような聡明な笑みがない。 「あのーあのー」 と言ってこまった風の表情で意味不明だ。
 「どうかしましたか。」
 「あのーあのー 白いんげん豆がないのです。」
 「北海道の産地も夏の高温にやられてしまい 豆が枯れてしまったということです。」
ヒロ子さん泣きそうな小さな声で
 「もうこれだけなんです。」 と言って、小さな袋に入った100g程の豆を手わたしてくれました。
 「バサラさんが来たらどうしよう。 これだけしかない豆を渡してカンベンしてもらおう。 これだけをかくしておいたんです。」

 ああ、なんという健気なるヒロ子さん。 もう、その小さな袋のインゲン豆、値千金、しばらくは入荷しないという。

 「わずかばかりですみません。 私から心ばかりの豆で申し訳ありません。」 まっすぐに俺を見つめて手渡してくれた。 大切に大切に保管しておいた100gほどの白インゲン、いかようにあつかい、いかように食したらよいのか。
 あるところにはあるであろうインゲン豆を探したがヒロ子さんのインゲン豆には及ばないものばかりであった。 農作物にとって天候は最高の味方で、最悪の敵なのだ。 今年だめだった作物だといって来年は良作ということはない。 思案した。 ネットで探せだ。 安直な思いつきだが、これもためしてみよう。 ヒロ子さんを想うとうしろめたい。 そして、やっぱり産地のことなるものは同じ色つや同じ大きさであっても、使いこなすのはとてもむずかしいということを学びました。 土屋乾物店に行けばいつでも手にすることが出来るインゲン豆、今年の夏の猛暑はその当り前を配慮せよということだ。 けれど、こんな酷暑、毎年やって来るなんてこと、想像したくない。 想像したくないことが、まぎれもない現実となって我等の目の前に突き付けられて展開されている。 来年のインゲン豆より、すぐにも止まれ、そのミサイル! と叫びたくなる惨劇。 いつはてるともなく続いている。
我等、何にをなせるのだろう。

                      2023.11.6
                       大澤 伸雄

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