めまいする朝の散歩

 早朝の行進をはじめてはやひと月だ。 ひとり行進だから実に気ままで歩く速度も行く先も自由勝手でゆっくりだ。 6時に起きると冷い水をゴクリと一杯やる。 使いこなしたテニスウェアーをひっぱり出してサッと羽織る。 やる気がうせる前にすばやく家を出ることだ。

 東西南北、行手は気まぐれ、なるべくまぶしい日の光はさけておだやかな方向に向う。
 早朝は愛犬といっしょに散歩している人に多く出あう。 楽しそうだ。 愛犬と二人だけの大切なひとときということだ。 犬にかしづいている風がなにより幸福であるということなのです。 ひとり行進の我はどのように見られているのかわからないが、時おり来るめまいを少し気にしながらもゆっくりとした歩調でもって堂々たる後期高齢者だ。 早朝であるから高齢者は少い。 愛犬との同伴の人が犬に導かれて元気に朝の散歩というわけだ。 では、愛犬をもたない者は自分という体をひとつのよりどころと考えて、今朝は右肩が少し痛いなあと思ったら、その辺をもみほぐしたり、伸ばしたりしながら歩く。 人がそれをながめれば 「ああ、いかにも健康でたのもしい老人がひとり散歩してるわい。」 となる。

 なにが散歩のきっかけだったのだろう。 朝の目覚めが早くなった。 なのに、いつまでも寝床からはなれない。 いつまでもつまらぬ想いにもてあそばれているみたいで埒があかない。 ここにも自らの往生際の悪い自分を見る。 ならば外に飛び出してみて足や腰、腹具合を整えるのはどうかと思いあたった。 加え、75才を越えたあたりから急に排便の能力がおとろえ、自分だけではたよりにならぬことで、とつぶやいたところ 「そうですか。ならば早朝のひとり歩きを励行なさいませ。」 との知恵をいただいたのであります。

 足、腰が弱わり多くの老人が散歩に精を出す。 誰だっていつまでも、どこででも丈夫で長持ちしたいなぁと願う。 人間、弱われば色々な助け舟を引っぱって来ては挑戦して又、挑戦しては空しく 「ダメだったか!」 とため息を突く。 しかし、捨てる人、拾う人この世には同じ程に行いがあるのだ。 ならば、どれもこれも噛んではくだいて、咀しゃくして、「どうも年取るとくどくていけねぇな、心配事が重なってなに事も判断できないなんていうのは毎度のことだ。 そして、仕舞にはめまいの中で強行突破の夢を見てしまう。

 かかりつけの先生はいい方だ。 良い薬をいただくこともあるけれど不具合もある。 色々な異変が老いた体にはつきものだ。 こんな変調はかってはなかった。 はじめて経験する変調に体も頭もびっくりする。 ああ、これが老いているということなのですね!

 酒はうまい。 夏の酒で活性にごり酒を自宅では二合。 それをゆっくり飲みおえると、失神するかのように、すみやかにふとんに包まれて眠る。 そして、めまいする朝の散歩の夢を続けるのです。

2023.7.16
三鷹 バサラ
大澤伸雄


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