1月17日、義理の母が逝く。 その3日前、俺にしてははからずも殊勝な気分になって義理の母の居るホームに面会に行った。 ホームでは感染予防のためにこの3年程、自由な面会が禁じられていた。
ほぼ3年ぶりに会う母は元気そうな様子ではあったが認知症の症状がかなり進行し、会話は叶わなかった。 じっくり、ゆっくり顔をながめ 「久しぶりで、すみません。」 と言う。 一瞬、俺を見つめニコリとしたかに思えたが、それは俺の欲目だったか、すぐに天井に眼をやりすごして一点を見るばかりだった。 寝ているベッドの上で両手が元気そうにゆれている。 俺はその両手をとらえてゆっくりと握った。 はじめて握る手の感触、あたたかく、力に包まれていて、はっきりとした生命力。 ギュッと弱い力で手のぬくもりを味わった。 勝手に眼がにじんできたがそれは俺だけの気持ちだった。 母ミエコさんは天井を見つめて少しだけうめき声を奏でた。 わずかな時間ではあったが、俺の気まぐれな殊勝、ああ会えてよかったとつくづく思う。 一週間後、義理の母ミエコさんの遺体は幡ヶ谷斎場にあった。 大きな斎場で、幾組ものの葬儀が同時に行われる。 それぞれの部屋にわかれて祭壇がもうけられて棺もすでに置かれてある。 美しい白木で組立てられた祭壇の中央にミエコさんの遺影がほほえんでいる。 御宮の形を模した神道の祭壇である。 さわやかな笑顔と神道の質素がうまくとけ合う。 そして、棺におさまっている当人の表情をゆっくりとはっきりと、とりこぼさぬようにながめ、たしかめた。 そこには納棺士 「おくりびと」 の方のていねいな仕事と業が展開されていました。 納められた遺体は白装束、その上には母親が一番にえらぶであろう着物の中のよりすぐりを、娘がえらび、くちびるはうすい紅色でととのはれ、いよいよ旅立ちの用意は済んだ。 齢、93才 人生を全うして逝ったのです。 ミエコさん、きれいでかわいかったです。 この最後の別れ際におくりびとのワザが大切なのだということも確認いたしました。 今月で75才であります。 色々な方々の葬列に参じることでしょう。 涙で目が曇ることもあるでしょう。 が、しかし、なるべくすこやかな眼差しでありたいです。 2023.2.11 大澤 伸雄 |