2023年、明けましておめでとうございます。 小さな小さな店、婆娑羅でありますが谷保での開店からかぞえると、すでに40年経ちました。 同じ形、同じ規模、同じ風情を心がけたわけではなく、「それでよいのだ」 「これでよいのだ」 を静かに静かにつらぬいて来た結果、このような年月をいただいたということだと思います。 自問自答の連続でありました。 なんだ、そんなものは、ただの身勝手で気ままなもんだなぁーと人様からよくたたかれもしましたが、自己決定とは世の流れにたなびかないを意味します。 卑小な自分に従う、りょうけんのせまい人生をよしとする変てこりんな自信、そのため最大のヒガイ者は女房でありました。 が、我家には夫婦一心同体という美しき家庭ではなく、「夫婦勝手気ママに自己実現」 という御旗がゆれていました。 「あなたにつきあって貧乏するの嫌だ!」 というのが女房宣言でありました。 よし、ならば受けてたとう。 二つの独立国家のように暮しをたてて、こちらの方もやがて40年になることでしょう。 困難はいっぱい、幸福もいっぱい、艱難辛苦をのりこえて人間は生きる。 進歩、発展という力強い言葉が人類の宿命だとしたら、俺なんぞまちがいなくチリ、アクタのごとくに吹きとばされてなくなってしまうだろう。 2022年、プーチンという怪人が登場して大戦争をはじめてしまった。 生れて始めてだ。 巨大な戦争を目の当たりにして、戦場で戦う自分を想像できないのだ。 それは、戦場における自分の肉体があまりにも弱く力がないこと。 巨大な兵器のさく裂、弾丸の破壊力を見せつけられただけで全身がふるえてしまう臆病な自分。 世界中のいたるところでくり広げられている残虐。 無縁ではないと考えるけれど俺は無力だ。 人間、追いつめられたら、何んだってやるゾ! そうかも知れぬ。 武器を持ち戦う、その姿が想い描けないのだ。 ならば、人々に安らぎの酒、安らぎの場所、安らぎの時を用意するが 「お前のなりわいなのだ」 と明言される。 「男のヒトが身の丈に合わないことすると、あわれ!」 と女房の苦言が背中を刺す。 コロナ禍の2年3年の日々を通過して、店はにぎわいをとりもどしている。 年配の方々がめっきり少くなってしまった。 同世代のよく顔を見なれた人が来ない。 さびしい。 言葉の蝶々発止が少くなってしまった。 元気な若者がたくさん来てくれてにぎやかなのはこの上なくうれしい。 その調子にのって 「ころがる石はコケがはえない」 Rolling Stones, No Moss と言っても、このオジィさん 何に言ってんの! なのです。 2023年の新春に 50年前の若者言葉は通用しないぜ!である。 若返った店は尚さんと木村君という二人の若者の力で活気と笑いで満ち々ている。 俺は注文の魚をソット切りわけて皿に盛る。 仲のよい若者のカップルがニッコリ笑って受け取ってくれる。 俺はもう、Rolling Stones, No Moss なんて言わない。 ごきげんよう だけだ。 脳が少しづつ退化している。 とぼけたふりをしてごまかす。 経験と継続は力なのだ。 ばれても、力なのだ。 2023年 新春の決意であります。 |