三鷹ドラック 村田夫婦

 小さな薬局が静かにとじた。 殆んどバサラのお隣さんみたいな近くにその薬局があったから、「あっ、指を切ったゾ! バンドエイドない! 三鷹ドラックに行け!」
 「あっ、アルミホイル切らした! 三鷹ドラックに行け!」
 「あっ、千円さつがない! 三鷹ドラックに行って両替をお願いしよう!」 などなど、いつも毎日、三鷹ドラックの村田夫妻には御礼、感謝ばかりで深謝の言葉が見つかりません。 心優しき、ゆるやかな笑顔の夫妻、多分は還暦になるかならぬかの頃と思いますが、少しばかりの早めの廃業の訳をうかがった。

 「コロナですネェ。 外出をしない、リモートで会社に行かない。 化粧品が売れない。 ちょっと風邪っぽい、風邪薬を飲むという普段の生活習慣がなくなった。 年寄世代の方々が家にこもり出歩く生活をしない。 生活雑貨を買いに来ない。 働く活躍世代の通勤がなくなり、薬、化粧品、色々な生活用品の需要の激減、駅に近い便利な薬局は仕事帰りの人々のかけがえのない補給基地だったのだ。 一年二年とコロナ禍での人々の縮小生活は確実に三鷹ドラックの体力をそいでいたのです。 老いを理由に商売をあきらめやめて行くのはいたし方ない事だ。 コロナ禍は世の中に途方もない困乱をまき散らしあわてさせた。 三鷹ドラックの村田夫妻は未だ若い。 が、夫妻の表情に 「やりきったぜ!」 と言ういさぎ良さが浮ぶ。

 「ついでに言いますが、ちょうど店舗も倉庫も同時に契約更改なのです。 この差配は我等に届けられた大いなる徴(しるし)のように思えるのですよ」 と言ってのけた。 そして、雲ひとつない冬の青空に向ってニンマリ。 27年間の商売に自信と誇りをいだきつつ、次なる人生も又勤勉で質実をもって生きられることでしょう。 気分のいいご夫婦であればこそなのです。

 と言いつつも、自分達は安泰だぜなんてことは全く思わない。 何にがあっても、何にが起っても、そんなバカな! ありえないだろ! 驚天動地である。 年迫る28日に店を作ってくれた大工さんの井藤さんから早朝の電話だ。 「たのまれていたお店の窓の改装できなくなっちゃったよ!」

 「バカだねぇ。 仕事場も材料置場も燃えちゃったよ。 もう、道具も使いものにならねぇ。 何にもかもだぁー。」 電話の声はそこで嗚咽に変わり深いため息だけが荒らく、かろうじてそこに生きている証しだけを伝えて来た。

 起きてはならぬ火災、だが、誰の身にもふりかかる火災のわざわい。 老いて齢い80才もそろそろの身、その仕事ぶりに助けられバサラという店はやってこられた。 堅牢で質素なたたずまい、井藤大工の腕前によって40年前に作られた店はいまもって健在である。 店内をしっかり支え、来店するお客さんを迎え、我等、働く者を上から眺めおろしている天井の梁、びくともしないカウンターの安定感、それらすべてが井藤大工さんの力技の証しだ。 その人が声をふるわせて、電話口で泣いた。 バサラにとって余人をもってかえがたい職人であります。 今日、これから現場に行ってきます。

                    2022.1.9 大澤 伸雄


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