10月25日再開にむけて

 その小説 「ペスト」 の末尾にカミュはこう書いた。
 「ペスト菌はけっして死ぬことも、消滅することもない。 数十年間も、家具や布製品のなかで眠りながら生きのこり、トランクやハンカチや紙束のなかで忍耐づよく待ちつづける。 そしていつの日か、人間に不幸と教えをもたらすために、ペストはネズミたちを目覚めさせる」 ペストの終焉に歓喜する人々をしずかにながめながら 「まだ終っちゃいない。」
 地上に疫病や災害は果てしなく起こる。 そのたびに人間は力をあわせ、助け合い、せまりおそいかかって来る沢山の困難とたたかって来た。

 今回のコロナ禍にあっても同じような困難が二年にわたって、世界中のいたるところでくりひろげられた。 感染者の数が信じがたいくらいの数に減った。 誰だって安堵する。 武装解除だ。 事態宣言、営業の自粛も解かれ、従来の自由でスガモあたりの高齢者パラダイスもにぎやかになる。 全国、津々浦々、神社仏閣のある参道に人々の行列があふれかえる。 えらい政治家さんの旗振り、一声で強行突破した「ゴートゥ・トラベル」 は無残にも失敗してしまった。 観光になりわいをしている人々にしたら大いなる助けぶねであった。 そして、そこからの驚異の感染バクハツがスタートしたように思えた。

 コロナ禍の日々、我等はひたすらに慎ましい内向的暮しにつとめた。 出かけることなく心地よい季節をむなしく過ごし、庭の雑草のけたたましいほどの生命力に毎日、圧倒されていた。 世界いたるところでワクチン接種が始まり、きそってその数と効果の程を公表している医療従事者の向側に何んと、反対者がいたのだ。 破廉恥で気分が悪くなるような政治指導者が堂々たる肉体を誇示して

 「ワクチンなど無用だ。 俺はこのとうり大元気だ。」

 そんな大統領を信じたばっかりに、コロナに感染してなくなった人々のあわれに耳かたむけながら、ああ、どこにでもいて、どこにでもある絵空話しと偽者野郎。

 そしてワクチン効果のたまものか弱々しくなった肉体でも無事に一ヶ月の時短営業を乗りこえることが出来た。 その幸福な時短営業は5時から8時まで。 終了は9時、弱々しい老体にはぴったりの序走労働でありました。 いきおい、若者なら時短をのりこえて働きたくなるやもしれぬ。 背負う重みは人それぞれだ。 時短の働き方は自分達の暮しにふさわしく思えた。 いっぱいの富を欲する者の働き、そうでない者の働き、いずれであってもその労働が幸福であることだ。 コロナへの恐れを忘れるな!

 10月25日から解除され、普段の商いが復活する。 この二年あまりのやすらぎのない生活の分、人々は上機嫌になって酒場を目指すでしょう。

 ゆめゆめ、コロナのヤツの意地悪を忘れなさるな!

 多くの感染症研究者が口をそろえて第六波の予想を公言している。
 我等、静かに酒の酔いにゆれながらも先生方の言葉にも耳かたむけよう。 始まりはいつも、聞えるか聞えないかのように微小なのだ。

                      2021.10.24

                       大澤 伸雄

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