大
「バサラをひらいて、そろそろ40年になります。 こんなに長期休業とは、そろそろ潮どきということですかね?」
ネル
「私は日本に来て30年になります。 安泰寺で座禅の修行をはじめて20年になります。 この夏に堂頭(どうちょう)をゆずり寺を出ることにしました。
時節到来ということでしょうか。」
大
「バサラでの商いは面白いです。 色々なお客さんがいらしてくれます。 近隣ばかりでなく はるか遠方、たまには外国の方も来ます。 ともに仕事をしている若者達、時に厳しい叱責をくれますが、優しくたのもしい連中です。」
ネル
「日本名はネルケ無方です。 安泰寺9代目の堂頭です。 たくさんの人から指導、鞭撻をいただき、作務をおぼえ、私よりあとから来た人達にも何事かをつくすことができたかなあと思っています。」
大
「令和2年の春頃から不穏な噂がポッリポッリと聞こえて来た。 それはアレヨというまにパンデェミックの正体をあらわにして世界中に飛火した。 そして宣言が出される度に商売は停止され、戒厳令の都市のように慎ましいくらしを強いられ、酒を商ってはならぬおふれが下された。
長い時の流れに、こんなこともあるわい! ならば寝て待つかと言って、1年と半分もたってしまった。」
ネル
「私は座禅をして30年たちました。 毎朝の勤行、食事を作る、ソウジをするなどの毎日の作務、畑での野菜作り、そして座禅。 ある日、乾麺をわたされ、昼はこれで作れと言われた。
アルデンテのようにゆでて出した。 それはダメだ。 大いに笑いものにされた。 そこで私は “料理を学ぶためにここにいるのではない。 私の目的は座禅である。”
すると師が一喝された。“そんなことがわからぬのか! もう、お前など、どうにでもナレ!” と。 その日以来、私の料理は人の認めるところになりました。
うまいか、まずいか、わかりませんが! 己を捨て、料理に突進して行ったのであります。 寺を作れとは仏道だ。 師、いわく。」
大
「制御不能などと言われたら、原発のメルトダウンに匹敵する、緊迫感をもたらしました。 物事は常に変化するのたとえ通りコロナウィルスの変幻自在ぶりに人間の心はおいつかない。
その勢いだんだんに弱くなって来ました。 喜んだのは束の間、諸行無常、コロナの大復活が始まりました。」
ネル
「わたしは師によく言われていました。 『お前はカボチャのような奴だな。 早くキュウリになることを覚えろ』 なんのことやら全くわかりません。
畑仕事をしている時にわかりました。 カボチャはどんどん成長します。 囲りの野菜などかまわず広がって行くのです。 そこに、ためらいがないのです。」
大
「永い休業を余儀なくされて日暮し空虚に公園の緑ばかりを眺めるなんて嫌だ。 安泰寺の生活はいかなるものでしたか。」
ネル
「私はカボチャでしたから、キュウリになれるように毎日、毎日同じ修行をします。 やがて、きゅうりのような細くやわらかいあぶなっかしい心の芽が生まれて、考える的のようなものが感じられ、命がワクワクしているのです。
微小な芽が生きるための地点をさがしながら上に向っているのです。 こまやかにふるえるようにゆれている芽は私であった。」
俺
「私のようないい加減な者でも、座禅をすることで得ることはできるものですか。」
ネル
「何にを求めるではありません。 そこにあるもの、あたりに漂っているものを感じるために座るのです。」 「ただ坐る」
大
「ただ坐る。 このことを言われただけで果てしなき大作業であることだなあと、考え込んでしまう。 こころみにコロナ坐禅をくわだてて沈思黙考。 あたりにコロナウィルスの渦巻く活力ぶりをたっぷり見た。」
ネル
「私はもうすぐ山(安泰寺)をおりて町に行きます。 町の人々の中で坐禅道場をすることになるでしょう。 私の生活も大きく変ります。 諸行無常を大切な心の定理として在野を生きていきます。」
「ネルケ無方さん、お知合になれて幸せです。 早起きは三文の得のどうりに得がたいネルケ説法をNHK教育テレビで見ることができました。 それを、くだき勝手に解釈し、“これぞ出合いだ”
などとひとり悦に入っております。 小さな居酒屋を営んでおります。 コロナ休業が終了して再び商いが出来ると願っていますが、時節到来を待つばかりです。
ネルケ無方さんにおかれましてもコロナあなどることなく、どうかご自愛下さい。」
もう一言
今回の稿は勝手なひとり手紙です。 どうか容赦下さい。
2021.8.29
大澤 伸雄
休業中の婆娑羅より |