新緑がまぶしい五月。 豊かに生い茂ってどこもかしこも緑と緑の饗宴だ。 やさしい風がそよぎ、明るい陽の光が草花にふりそそぎ、五月は人々を素朴な幸せへといざなう。 なのに今年もまた人々は家にこもり、白いマスクで口をふさぎ、街にあっても神妙な面持ちで足早にかけぬけて行く。 五月なのに 「つまらない」 「幸せじゃない」 と誰かが言うと 「そうだねー。」 と一様に重くうなずく。 今日から五月だ。 去年と同じようなあぶなっかしいコロナの五月がはじまった。 五月は幸福な季節だ。 そのはずだのに去年も今年も同じように忍従の暮し。 なるべく活発をひかえよという不条理な生活が強いられる。 勤勉で誠実な労働に支えられた当り前がなくなると、どうしたって人間、ニヒルにおち入る。 「チキショウ、庭の草むしりしかやることがねぇのかよ!」 と、狭い庭の土を蹴散らして気持ちをたて直す。 その時ニュースにクルーズ船が映し出される。 再びクルーズ船に感染者! あの絢爛豪華な真白き美しい巨船が広大な海原を一直線に航行している。 その雄姿の画面を見ているだけでも気分が爽快になるのだから、波をケチらして海上をバクシンしている船上の方々の心はさぞかしうるわしき事だろう。 「これこそがサクセス インライフってもんさ!」 夜ごとにくりひろげられるディナーに舌鼓をならし快適・快楽というものの究極を楽しむのがこのクルーズ船と言う旅の魅力なのだ。 多少のあぶなげなど気になさらずにこの船に乗る。 そして、去年の惨状はもう記憶の外なのだろうか。 いや、むしろこの度のほうが快適で安心と考えたくなる。 運行する日本郵船という会社は国家と会社の威信をかけて万全のコロナ対策をほどこして臨んだのである。 だから乗船した人々の欲望は正しい選択であった。 ほんのわずかな、見えない気づかないホコロビにやられた。 こんなホコロビ何程のものか。 ところが、事が起きてしまった時に何程のものに直面するのである。 船上の方々の不運、運行する側の無念、ああ、コロナってヤツの微に入り細にある強力な意地悪はいつ果てるのか。 我等の美しき五月の南仏への旅行、我等の美しき五月のツゥールゥーズの友情、すでにこの五月で完全に没になりエール・フランス航空券は消えた。 人との交流もなく、小さな庭の草むしりがすむと、次は女房のバラ作りを手伝わされる。 バラの世話はトゲとの戦いでもある。 手ごわいトゲ、手ごわい女、痛みにじっと耐える、男の意地。 「今夜は、初夏のバラという純米酒を用意しておきましたから、がんばってネェ!」 のひと言・・・。 追記 五月十一日までが事態宣言の休業要請であります。 酒類をあきなってはならぬという当局の御触れなれば、すみやかに休業。 コロナよ静かにの一念。 美しい五月、事態が好転しなければ延期か。 ああ 嫌だ。 2021.5.3 大澤 伸雄 |