緊急事態宣言が解除されて、我が暮しの何にが変ったか。 何によりも商売が再開できて仕事が出来るよろこびの大いなること、もうこの上ない。 朝食がうまい。 時間がきたから食べるのではない。 元気に今日も働くぞの気合がこめられ、活力の源としての食事だ。 腹がへったから食べるなんていうなさけない軟弱はない。 「おーいメシはまだかー!」 と積極的かけ声がひびきわたる。 外に出かけるのはきちんとした理由と目的にかなっているから、不分明な走行をしない。 あっちにフラフラ、こっちにトボトボ、ベンチがあればすぐに腰を落してアーアーとため息をもらす。 ああ、情ない! だが今日この頃は、すばやく自転車にまたがり楽聖ベェートゥベンの交響曲の勢いにのかったみたいに軽快に疾走だ。 朝日に向う、太陽の光輝く方に向う、人々の駅にむかって歩く力強い労働の姿がともにあるんだ、なんてことも思ったりしながら! そして、店のシャッターをダダーダーと目覚めの時を打ち鳴らすように引き上げる。 「さあ、今日も働けるんだ。」 この言葉を無言でつぶやきながら次々と作業をこなしていく。 歴史はくりかえされる。 コロナウィルスのの感染下であっても、そのいとなみは続く。 亡くなった母親は五十年、それを引き継いだ俺は三十年、まずはヌカ床に手を入れてかきまぜて具合をみる。 塩をたすか、ヌカをたすか、はたまた余分な水分を抜くかをする。 単純な作業は毎日なさねばならない。 この非創造がヌカ床の味を決定し、ふくよかなヌカ漬の味を創造するのである。 たとえ休業の日々が長くあろうとも。 午前の十時には肉・魚・野菜などの食材が運び込まれる。 仕入れはいまやナオコ嬢が役目だ。 色々な食材の調理をこなすための段取りを整えるのがダーダーダーと時を鳴した俺の仕事だ。 そして、三人のちぐはぐではあるが商売のための日常が開始される。 「働らけるって、いいよねぇー。」 俺は自己確認の気合を入れる。 すると春キャベツや京都の竹の子やらの入った重いダンボール箱をおしつけてきた。 「なに、かっこつけてるの! 早くうけ取って下さい!」 午前の仕込み時間は沢山の予定を残したまま終る。 手伝いの人は帰ってもらい、ナオコ嬢と俺は引き続き、もくもくと仕込みだ。 次から次へとやらねばならぬ仕事が残っていると 「働らけるって、いいよねぇー。」が なんとなくブラックな色調をおびて響いてくる。 もう。沈黙しかねぇーな! 夕方5時、時短営業の要請によって九時の終了だ。 だからかもしれぬ。 五時の開店と同時に人がドッと入って来る。 ゆったりと、どうどうと、オトナの酒飲みはかくあるべし、などと聞いたような文句は言えない。 ポンポン、次から次へと注文を連発する。 急いでいて、あわただしいのだ。 時短要請というシバリが酒飲みの本来あるべきスタイルを少々狂るわせているのか。 ならば、家で飲むということになって酒場はジリ貧ということになるのか。 否、 制度要請によって日常が変ることはあるが、急いで、あわただしいのは、その者のもっている性分であるから、すぐに普段に戻るものである。 でも、しかしである。 この時短とか過密をさけてとかの酒場のあり方は案外よいことであるなー。 世界にあふれ、人々の暮しを圧倒している困難な事柄のどれもが 密集、密閉、密接の言葉にくくられている。 だから、三密のない酒場こそ これからを生きる店の知恵と承知した。 2021.4.4 大澤 伸雄 阪中浩さん 京の竹の子 ありがとうございます。 じょうずに料理します ゾ! |