やっと来た解除 えっまだ!

 自粛・時短営業・事態宣言、色々なしばりがあって、気分を変えにフラットどこかに出かけたりできない。 一匹の猫と、ひとりの妻と、あと俺、一つ屋根の下で静かに慎ましくひっそりと暮らしている。 毎朝のニュースが知らせてくれる感染者数と死亡者数に一喜一憂しながら、一日の予定を練り上げる。 人生の口実だ。 猫トイレのクリーン・アップ大作戦、箱庭の落葉・枯葉のクリーン・アップ大作戦、読み終えた雑誌や本のクリーン・アップ大作戦などと称して活躍ぶりを大袈裟に演じてたいへんをよそおう。 広くもない家の掃除など一週間もすれば、もうよくできたなということになる。 そして、逃げるように外に出かける。 目的地などあろうはずがない。 靴をけりあげてそのつまさきが示した先に歩を進めるだけだ。

 今日は南南東に進路をとれということになった。 不要・不急の外出はひかえよ、という戒厳令みたいなスローガンがちまたに流布されているから、堂々の行進というわけにはいかない。 目立たないよう人気のないほうへと、うらぶれた散歩になる。 家から南南東というと深大寺方面ということになる。

 住宅地をぬけるとそこからは植林用の樹木を育てている畑がおよそ2・3キロにわたって続く。 車どころか、人にも会わないいきなりの田舎風景だ。 コロナのウィルスもCOの削減も絵空事のように思え、少しばかり乱暴な気分になって 「人類をおびやかすウィルスも大気汚染もまだまだ大丈夫じゃねぇの!」 なんて嘯ぶきながら雲ひとつない真冬の青空にむかって思いっきり深呼吸だ。

 と、そのとき歩をよたよた進でいた足元のワキを小動物が駆けぬけた。 一瞬にとらえた動物の、その俊敏はペットなどの走りとは全くちがった。 タヌキ、ハクビシン分らない。 ヨタヨタ老人の足元を見すかしているように植林の奥へと消えた。 野生が生息するほどの環境ではないのに。

 「どこだって生きぬいてやらぁ」
 「喰えりゃなんでも、いただくぜぇ」 というハクビシン、タヌキの不敵ないななきが林の奥からひびいて来たような気がした。 こんなありがたい、予期せぬめぐり会いは万にひとつだ。 好運の予兆か。 いや、これが好運なのです。 出会いのない暮し、友と会い酒盃をかわすもない、仮想の会話、人間の息吹を感触できない生活、よし!
 次、出会ったときは抱き上げて、じっくり面がまえをながめてやるゾ。 おいタヌキ!

 林が終るとそこは美しく整地され、規則正しく直線に成育している冬野菜の畑であった。
 ほうれん草、小松菜、ブロッコリーなどがどれも、ゆるぎない直線と平行を土の上にえがき出し、しかも見事な緑の葉をたっぷりつけて冬の光をあびている。 本物の百姓の仕事であった。 祖父、初五郎じいさんの畑がよみがえってきた。 それは陸稲(おかぼ)の畑だ。 正確に間をおいて種をまき、稲の成長を予見したかのようなワザであった。

 「美しいホウレン草ですねぇ」 とその畑の主に声をかけた。
 「ウン、今のうち、うんとぬいとかねぇと、どんどんでかくなってホウレン木になちゃうでぇ」 畑の泥のついてホウレン草をていねいに振っている。 労働ではあるが、いつくしみだ。

 このあたりまだ4・5件の農家が散在している。 片手間の農業ではない。 日焼けしたたくましさ、ひびわれた手、素朴で無口、俺のじいさん、初五郎さんもそうだったな。 この牧歌的な農村の風景は今日この頃このあたりでは奇跡的である。 個人の力、個人の善意による風景だ。

 「じいさーん、お茶もって来たよー。」 と奥様がニコニコしながらかけよって来た。
 長年よりそって、土の仕事をなりわいにして、まよわず生きて来た者の静かな力強さだ。 見目うるわしく、やさしく安定した夫婦の姿は、不安定な心持ちをしている者には実にありがたい。

 コロナは人間の行動風景を変えた。 人が大好きな集合することを良しとしない。 ゾロゾロと群るを単独へと。 大量消費からCO削減へと。
 クルーズ船から始ったコロナ戦線なのにまたぞろ、船が動き出した。
 だめだ!動かすな。 喧騒の宴はまだまだ時期尚早!


                      2021.2.1
                       大澤 伸雄

まだまだ 解除されない宣言
休業はつづきそう。



トップページへもどる

直線上に配置