No woman,No cry

 このパンデミックとの戦い、はじまりは今年の1月であった。 遠い大陸の都市、武漢という町の出来事として報じられた。 全くの他人事として 「あっ、そうなの!」 ぐらいの反応がほとんどであった。 商店はシャッターをおろし、街から人々の姿が消え、高速道路の車が行き来していない様子が映し出され、武漢という都市そのものがすっぽりと封鎖されてしまった。
 外出禁止、往来発着、すべての交易、経済活動の中止。 日本における最大の出来事がクルーズ船の到来だった。 船内での多数の感染者、そして船内で発生した感染による死亡者が出てしまったことだ。 われらはあわてた。

 国も地方自治体もみな一斉に、経済の停止をさせられ、マスクの調達に走り回り、アルコール消毒液がなくなるぞ、と言われれば不必要に買いあさったりと、世の中がいっぺんに不穏なさわがしさにおおわれてしまった。 いつもの四月、五月の浮かれた花見気分はコロナと対峙するまじめな人々によって実にひかえめな季節となった。

 ほらねぇ!やればできるじゃねぇか! 夏に向って沈静化だ。 オリンピックだって、パラレンピックだって大丈夫さぁ! 2021年には優れたワクチンがどしどし供給されてコロナウィルスの活動も下降線をたどる。 後期高齢者のわれらも、もう少し我慢していれば、夜の街へ出かけて行って遊狂に憂さをはらせるぞ。 世界はおだやかに平穏無事の方向へと行くはずであった。

 だって、あの偉大なる鉄仮面大統領が約束したではないか。 「この。ワクチンはこの俺が作らせたんだ。 俺がやらなければこんなに早期にワクチンは実現できなかったはずだ」
 「来週からワクチン接種がはじまることになっているぞ!」
 「コロナとたたかっているのはこの俺だ。 民主党の奴らになにができる。 もう4年、俺は大統領だ。」

 この気っ風と大胆な発言はまさに王様らしいねぇ。 と言えなくもないが。 人様がコツコツ夜もねずに艱難辛苦をのりこえてなしとげた手柄を、まるで横取りしているみたいで見苦しく、本当に心の限り、力の限りをつくして戦っている医療の現場、ワクチンの開発現場の人々をあまりに愚弄している。

 ワクチンは政治、政争の弾丸ではない。 人類をコロナ禍の災厄から救済するかけがえのない薬ではないのか。
 われらの王様なのだから大見栄、大胆発言、庶民をそそのかすは仕事のうちと認めよう。 しかし、手柄の横取りは小さい悪かもしれないが人間の心をいともたやすくふみにじる。 そして虚しく恐ろしい。

 そして、今日この頃の第三波の感染爆発は虚しく恐ろしい。 自粛・自粛と毎日登場して人々に語りかけるエライ人々の同じ言葉の繰り返し。 エライ人が悪いワケではないけれど、現場仕事で血と汗と涙を流している人々のそれに比したら、虚しく恐ろしい。 であるからこそエライ人々の知恵によってゴーゴートラベルなるかけ声が発明されたのだと思う。

 めっきり客足のとだえた観光地や温泉宿に政府が音頭を鳴り響かせ、ゴーだゴーだと出かけるように促す。 善良で純朴な市民は(よき市民は従順なのです)すぐにも政府の方針によりそってゾロゾロ・ゾロゾロと国じゅういたるところで行列をこしらえて、渋滞して、歩き回ってすごしました。

 人間が動けば、それに従って感染の数字も動く。 なんで困難な国民大移動作戦を考えたのか。 全国民を一方向に強制的に進行させることがいかにむずかしいか。 そして、高齢者は自粛、持病をかかえている人も自粛、もとよりみんなでゾロゾロなんていうのは大嫌いだから、ゾロゾロとどこにも行かない事にしているから自粛は自分の人生と暮しに沿っている。

 わが家のすぐ隣が大病院の日赤なのです。 日に20回30回の割合でサイレンを鳴らした救急車が出入りしている。 その大忙し、大騒ぎしている病院内のはずれに公園があって、しばしば散歩の道すがらによってはアイスクリームやまんじゅうをほおばったりして休む。 その日は二つのベンチの片方に先客があり、道路側の少し汚れた朽ちている、まるで自分のようなベンチに腰をおろした。

 冬の日だまりがあって心地よかった。 先客の方は妙齢のしっかり生活をもっているような娘さんであった。
 「失礼して、座らせもらいますよ。 今日はお見舞いにいらしたのですか」
 いくら隣りのベンチでも、この位の会話は老人のたしなみとして当然のことなのです。
 「どうしてお見舞なんですか?」 と明瞭な言葉使いが返ってきた。
 「体が丈夫そうだし、何により顔立ちが明るく元気ですね!」 「まんじゅう、これ、どうですか?」 手の中のまんじゅうに一べつしただけで かるく
 「けっこうです。」 といなされてしまった。
 それが会話の始まりだった。

 27歳の看護師であった。 三交代の夜勤明けという。 昼の担当者と手続きを済ましてようやく仕事を終り部屋にもどる。 少しの時をそのベンチで楽しむ。 危険と激務にさらされて、健康と独身という条件がその仕事に向わせたと言う。
 果てしなく、毎日毎日、患者さんが運びこまれる。 重症者が多いという。 仕事の流れが、システムがきっちり作られているのでアタフタはしません。 とプロの自負を見せた。 病院のよく出来た体制に守られているから大丈夫だと思います。 でもコロナがいつ収束に向うのか、世の中のふつうがいつになるのかを考えると、泣けて、泣けて、だからここに来てひとり涙しているのです。 と元気に語る。 ああーなんとけなげなる娘よ!

  俺のひとりごと
    いつか終るさ きっと落ちついて
    静かになるさ 娘よがんばってくれ
    No woman No cry
    No woman No cry

    世界はきっとよくなる
    やすらぎもくるよ
    ときに 涙ながしても

    No woman No cry


                      2020.12.13
                       大澤 伸雄

            バサラ 2020年の終りは12月29日です。

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