吉本ばななさんという女流小説家のお父上で、吉本リュウメイさんという、むずかしい本(詩、評論、哲学)をいっぱい書いていた人が、どこやらでこんなことを言っていました。 「人間、一つ事なんでもよいからそれを仕事として10年しがみついてコツコツやっていれば、なんとか格好がついて生きていけるもの」 と。 気むづかしそうなリュウメイさんが言うと、ふーんそういうことかうなずくけど、誰だって皆そうやって生きている。 でも、若いと 「嫌ゃだね、そんな暗いしみったれた生き方、ああ嫌なこと!」 だから、故郷を捨てて、父と母の無償の愛を捨てて、都会の喧騒へとむかう。 いつの話だよ!否、万葉のいにしえから脈々と語られる別れと、失望と、再生の話だ。 そこに今日この頃はコロナ禍という災いが若者の夢を打ちくだく。 ようやく出店まで来たゾォー。 さあ あとはとも綱を解いて、商売、商売だぁ。 意気高らかに声をあげたのに。 下積の暗い日々をじっと耐え、バカだチョンだと言われても、いつかは俺の夢が叶う時が来るのだ。 そのたよりにならない未来の光明に身も心もたくし、皆からボンクラ、デクノボウと呼ばれても、「雨ニモ負ケズ」 の一念を誇りに、そして、来年の夏に開催されるオリンピックの祭典は幾多の商売に幸運と躍動をもたらすはずであったのに・・・ リュウメイさんの言葉に素直に、これっぽっちの疑念も抱かず多くの若者がコツコツの精神でもってこの苦境をのりこえようとしている。 バサラも又、リュウメイさん語録のひとかけらをいただき、持続化給付金があろうが、なかろうが商いを続けなければ店で働く者すべての者の生活が根底からくずれる。 連休の日の高速道路の渋滞、行列をこわがりながらも人出は上々だ。 みなさん勇気あるなぁと感心しつつもどうなるやらだ。 そしてやっぱり感染者数はふえた。 行楽地に人々が行く。 人ごみと行列は商いが成り立って証しだ。 しかし行列、人混みは感染をよぶ。 このジレンマとどう折り合いをつけるかが思案だ。 行楽地の食堂やみやげもの店は 「やっと、もとの活気が!」 「商売ができるって、本当にしあわせです。」 と満面の笑顔だ。 どうか感染爆発が起きませんようにと祈るばかりだ。 一方、近隣の飲食業をながめていると笑顔は少ない。 夢、断たれ時が静止してしまった店も時おり見る。 そのあるじであった若者は果していずこへと想うと、まったく他人事ではない。 二ヶ月休業した時の我心の内の暗い秋霜を思い出す。 今、バサラは席を一つおきに空けて座る。 アクリルを置いて飛沫対策をしている。 マウスガード、アルコール消毒などの対策でもっての商いだ。 さいわいな事にコロナ禍におそわれる前の営みにもどりつつあると思うが、来店のお客さんをどしどし受入れることができない。 「席、あいてるじゃねぇか!」 とにらまれても、ミツハサケルの嫌われ精神は持続しようと念じている。 リュウメイさんの 「一つことなんでもいいから10年しがみついてやれば」 そう、なんとか格好がついたということか。 バブルがはじけ世が混乱し、神戸淡路の大震災があった。 続いて東日本の大震災と原発事故、その流れとも読めるコロナによるパンデミック。 ボーっとしてても、生きて生きて生きぬいてやるゾォ―の心はなくさねぇーゾォだ。 そしたら、ある雑誌の 「真っ当な酒場」 という特集記事の末尾に、ほんの少しだけ登場させていただきました。 色々な飲食店がなくなっているきびしいご時世に、ほんとうありがたいことだなぁと感謝の次第です。 ところが10月18日現在、ニュースはフランスのパリを写し出した。 再び一日の感染者数が2万人3万人というすごい数を報告している。 パリは人がいなくなった無気味な闇の中につつまれ再び戦いが始まった。 果たしてこの国 日本はいかなるか。 2020.10.18 大澤 伸雄 |