店を開けていればこそ、我等は仕事にめぐまれる。 朝には市場にでかけて、肉や魚や野菜を仕入れることから始まる。 ていねいな仕込みが夕方からの営業につながっていく。 毎日の店内掃除は欠かすことはできない。 店の品位だ。 と同じくらいに働く者の身づくろいと健康だ。 金銭の勘定もある。 そんな店の事柄が4月1日の閉店ですべて停止した。 生の食材は店の人間、皆で分け「現物支給」だからな! おもいっきり持っていけ! 1ヶ月もたてばこの騒動、きっと静まるよ、などと何にも根拠のない望みを皆に語りかけたが、誰も信じちゃいない。 3日間は使用のない食材の処分と店内整理に暮れる。 「生産的じゃねぇな」 「虚しいなぁ」 「毎日をどのように生きる」 この哲学的難問に対峙して時を過ごさねばならない。 ミキ君どうすごすの、どこかえ出かけての感染は厳しく戒めよう。 「すべき事決めてあります。 それは自己研磨です。」 その決意はいいね! そうさ、人間いくつになったって磨かなくてはならぬゾ。 かくして我等は3人で暗黙の取り決めをあみ出した。 ミキ君は午前中に店によりなすべき事をなす。 ナオコ嬢は夜ごとひとりの何事かを思索するために店による。 そして我一人ヨタヨタさびしき散歩道を徘徊し、時折人気のないバサラをのぞき見る。 という具合に三人は接触しない暮しを始めた。 朝一日の始まりに何を行うかをさがす。 24時間の割ふりをおぼろげにえがく。 ミキ君は大きな排気量が千CCもある弾丸スポーツバイクを所有している。 高速道路をがんがんとばして、今年の夏休みは北海道一周を制覇する計画をいだいていた。 雨風の中を猛スピード疾走するなど何程のものでもない勇者だから、広大な北海道の大自然はとにかくおにあいだ。 レクレーションだって見ようによっちゃあ大いなる自己研磨といえなくもない。 が、やっぱりこじつけ気味だな。 自己研磨はやめにして具体的な物品研磨方面へと方向を変えた。 ミキ君は色々な料理道具に的をしぼった。 日頃よく使用する包丁や、鍋や釜、あるいは冷蔵庫や流しなどの大モノ。 力と熱情をもって手には強力に耐える金属タワシでゴシゴシ、ガンガン、スルスル、ホイホイ。 かけ声ならなんでもよいのだ。 もう自分を磨くことなどどうでもよかった。 銅、鉄、ステンレス、アルミニウム、それら金属のそれぞれの輝きと色彩に魅せられてしまい、とうとう時を忘れるほどに夢中になった。 ゴシゴシ、ガンガン、スルスル、ホイホイは休業中の2ヶ月間、心の奥深くまで鳴り響きミキ君を楽しませた。 自己研磨は忘れてしまったが、日々の気分は上々だった。 ボストンテリアという小型犬はもう16才のオスの老犬だ。 16年もの長きにともに暮らしてるのだから体調がおかしく元気がなかったりしたら、己のこと以上に心配で悲しみに落ちてしまうのは当然だ。 「うちの犬が。カミオムツ食べちゃったの」 とナオコ嬢は電話口で動転している。ウールやシルクを噛みちぎって喰い、飲み込むネコの話を沢山聞いていたから、犬がカミオムツを喰うというのもうなづける。 お腹をひらいてワタを取り出す大手術がほどこされると泣きベソをかいている。 休業中で幸いだ。 全知全能、あらぬかぎりの心をもって老犬に尽くすのだ、としか言いようがない。 語れぬ生き物に人間ができることは奉仕だけだ。 無条件奉仕。 ナオコ嬢は知り合いのツテでそのボストンテリアの子犬を得た。 家族の全員が子犬のテリアを慈しんだ。 さあ、何て呼んだらいいのだろうということになる。 だが、ナオコ嬢の心の中にはすでに子犬の名はきまっていた。 「マスター」とはサークルの1学年先輩の呼び名であった。 少しのチャメッ気、あわよくばの下心、ほんの少しの罪の心、若いイタズラ娘は決心した。 「マスターおいで」 「マスターおテェ」 「マスターねんね」 もはやウラ切り名ではない。 家族全員の愛の呼名となった。 マスターの胃袋からいっぱいのワタが取り出され、手術は成功したかであったが、老犬の体力はそれまでであった。 「マスター君ごめんね」 「マスター君さよなら」 と、弔い供養をすました。 マスター君はナオコ嬢をコロナ禍から守り、老体をもってイケニエとなるをしめした。 なあー、ナオコさん、そう思えよ! 銀行の融資、国や都の給付金、わずかな預金、これらの金のなんとありがたきことよ、である。 支払は臆面もなく向うの方から請求書をもってやって来る。 2ヶ月の休業は我等の暮しに酷い。 店を継続しなければ生きられない。 まことにその名の通り「継続給付金」なのです。 恥も外聞も捨てて、金出せ金出せと言うつもりはないけれど、無言でがまんするの弱々しい心ではこの先の店の未来が展望できない。 しかし、長い商いの経験から、凡庸で目立たなくても本物の実力をたくわえることだ。 俺は百メートル走では勝てないが紅白の玉入れでは、けっこう活躍できるんだ。 弱虫の意地だ。 どうだ。 再開だ。 2020.6.21 駆邪逐疫だ。 ガンガン音曲を 鳴らせ。 大澤 伸雄 |