毎朝のつとめは深大寺の南側にある市場での仕入れだ。 魚は、はじまりの築地から三代続いている小松治作商店と決めている。 勝手と我儘、言いたい放題も長いつきあいのたまものだ。 値段が高いのやすいのと言ってその都度、店をころころ変えるのは己のうすっぺらを見すかされることになるからしてはならぬ。 「近頃、魚の種類、めづらしくて、おもしろいものが見えなくなったねぇ」 とぐちったら、三代目の社長が 「大口の店も来ねぇ、小口の寿司屋さんはもっと来ねぇ、クルーズ船のニュースが始まってから仕入れに来る人がへったねぇ」 家族3人、従業員5人の深大寺市場ではもっとも経営状況の良い風に見える小松商店でも元気がない。 またしてもわざわいの始まりだ。 どうしてこうも....25年前に神戸・淡路をおそった大震災から始まる。 破壊され炎上している街の光景、行場を失ったテント、バラック暮しの人々の姿をじっ見る。 我等は声も出ず、だまる。 義援金の箱にお金を入れる。 その度に、うしろめたい、「これでいいのか?」 という気分におちいった。 魚屋の社長に「何にをしたらいいのかねぇ」 とつぶやいたら 「バサラさんよぉー。 うんと魚かって、うんと酔うってよぉー。 客を元気にしてやれよー。 ふだんどうりやるしかねぇーゾ」 と肩をたたかれた。 それから年月が飛び2011年の春、東日本大震災が列島を襲った。 巨大な破壊とともに原発による放射能汚染という新たな惨劇がもたらされた。 列島にくりひろげられる わざわいの連鎖をどう思えばいいのか。 天誅が下ったなど言葉が軽くて心がおいつかない。 人はいつなんどき、どこにいてもわざわいにもてあそばれる宿命をおわされているということか 「バサラさんよぉー。 放射能ってのはよぉー。 くっついてるのか、はがれてるのか見えねぇからしまつ悪いよ。 何に売りゃいいんだか!」 小松商店の社長の嘆きはとまらなかった。 それでも俺は自転車にまたがり、毎朝仕入れに出かけた。 東北の魚にねらいをつけて買った。 酒も東北の地酒を使った。 店に義援金の箱をよういした。 バサラに来るお客さんは気前よく、つり銭をそのまま箱に入れて帰る。 それらは県立大学の被災学生に直接届けられるようにとりなしてくれた。 チリもつもれば運動は2年程続いた。 東北の魚と東北の酒はいまもバサラの礎となっている。 わざわいのたびに人はともに生きることを学ぶ。 そして、ひとりでは生きられないということを思いしらされる。 はじめはながめてばかりの対岸の火事のようだった。 クルーズ船は到着した港にとどまっている。 下船できないでいる三千人の人々は城塞の中に幽閉されている。 ウイルスに汚染されて疾病のキケンにさらされている。 どこかで知っている話ではないか。 「われ反抗す、ゆえにわれら在り」 と記るしたアルベール・カミュの小説「ペスト」だ。 ペスト、それはネズミからもたらせる疫病だ。 ネズミの死骸が街のあちこちで見つけられるところからその話ははじまる。 いち早く、これがペストの兆候ではないかと認める主人公の医者と、そこに連帯して疫病と戦う人々のドラマだ。 いま現在の世界中の医療の現場、対抗薬の研究開発、国と国との遮断、などなど グローバルな状況とは少し異なるが、小さな街がすっぽり閉鎖され、行き来をたたれ、目のまえにおそいかかって来るペストによる死。 人々は普段、疫病に対して無防備である。 クルーズ船も同じことだ。 こんなウイルスにやられるなんて、これっぽっちも考えない。 はじまりは、そこかしこに起る、身近な風邪のように安易だったのだろう。 ある人はインフルエンザなんだ!と言う。 わからずに感染して、気づかずに癒えている。 そうあることがのぞましいが、うつりたくないのが人情だ。 だからうつさないようにするのも人情だ。 小松商店の社長が耳もとに語る 「バサラさんよぉー。 放射能の次はよぉー。 コロナ・ウイルスかよぉー 次から次へと人間はたいへんだなぁー。 でもよぉー 少しさわぎすぎじゃねぇーか!」 そうですねぇ、われら凡ようで役たたずは日々、とり行うことをコツコツとこなし、コロナウイルスのわざわいが一日も早く沈静してくれるのを祈るばかりです。 2020.3.20 大澤 伸雄 |