5年ほど前になくなったお袋が長い年月をかけ、まさに手塩にかけて育てていたヌカ床を引き受けた。 それはもう30年になろうとしている。 時になまけ、堕落した己が生活のようにヌカ床の状態が荒廃してしまったことも、それは手塩をなまけたからだった。 その度にお袋に来てもらってはヌカ床をよみがえらせてもらった。 一度、二度ではなかった。 いまでこそ、ヌカ床のめんどうを人さまに講釈したりしてえらそうな顔しているが、それはすべてお袋の受け売りなのであります。 と、自白したところで、ではその実践を少し記しておきます。 自らを戒め、これからヌカ漬を挑戦せんとしている若者への讃動をこめて! バサラ式ヌカ床作法 ホーロー容器にイリヌカ、塩、水を加えながらまぜる。 ねん土のようなやわらかさになるまでまぜる。 塩かげんは時々そのねん土状のヌカを舌にのせ塩味をたしかめながら塩加減する。 その塩加減が野菜漬の味になるから「あなた好みの女」になるのです。 野菜から出る水分がヌカ床の大切な要分でありますが毎日の事となると味もうすくなり、味わいも悪くなるので水分は捨てて下さい。 その度、ヌカと塩をたし入れて、前のやわらかさと塩かげんをもどしてやること。 あくまでヌカ床は野菜をつけながら作るものですから毎日毎日が調整なのです。 そこにこそヌカ漬の極意、ヌカ漬のタイヘンがあるということです。 我ままな女のたとえのように、ほっておくとすぐ無愛想になったり、そっぽをむいて不機嫌になる。 けれど、そんな女のほうがおもしろくて、惚れたかいがあるというものだ。 そんな女だと想いながら毎日ヌカ床をかき混ぜていると、ヌカ床への愛と情がほのかに感じるようになると、そこからは個性の領域になる。 しょうが、にんにく、青梅、唐がらしetc、をたしたり、ひいたりして血と汗と涙のヌカ床になるわけです。 一か月もたてば一応のヌカ床としての体裁は整うでしょうが感動のおいしさは、それぞれの人様の感性という最も当てにならぬ言葉に到達してしまうのです。 自らへの戒めを、塩加減、水分加減、味加減の3つに込めて単純素朴をつらぬきたいと念じていきます。 夏も終りに近いこの頃のこと、お袋は大きな畑のワキに自分だけの小さな野菜畑をこしらえて、トマトやきゅうりやナスを栽培していた。 夏の夕暮れどきに行くと必ずそこで畑作業にいそしんでいるお袋がいた。 小さな畑は美しく雑草など見あたらないくらいに丹精をこめてられていた。 「さすが農家の娘だったんだねぇ!」と俺が言うと、 「こんなこと、ワキャないよ!」とニンマリしていた。 そのキュウリとナスがヌカ床に入れられて、ヌカ漬となって俺の目の前にあらわれた。 お袋のつけたヌカ漬がうまいなあと深く味わえるようになったのはだいぶ大人になってからだった。 ヌカ漬のワザをなんとか継承して、そうさ これが孝行というものさ! 2019.8.25 大澤 伸雄 |