R.ストーンズ自身のプロデュースによる大展覧会が五反田メッセで展開された。 蔡君はいきなり封筒に入った二枚のチケットを差し出した。 人ごみは行きたくないからこのイベントは色々な方々にすすめられても行かないことに決めていた。 そしたら思ってもない蔡君の手からチケットがさしだされた。 ああ、これは行くしかねぇな。 だって蔡君の好意だもの! もう20年も前のこと、蔡(サイ)君と林(リン)君が店にやって来ておいしそうに酒を飲みながら談笑。 「中国の人?」 「いいえ、台湾です。」 二人の留学生は純朴で目が輝いていて、まっすぐに人を見る、もうそれだけで俺はこの二人の若者が好きになった。 「ねぇー、この店でバイトしてよ!」 俺はいきなり切りこんだ。 二人は予想だにしなかった誘いに一瞬たじろいだが、林君はホリュウ、蔡君はノッテミルかなという風だった。 結果、蔡君が俺のストレートな切りこみにのってくれた。 亜細亜大学を卒業した二人はともに日本にくらし、台湾と日本のかけはしになって勤勉なるビジネスマンとして大活躍だ。 ある時、二人にたずねてみた。 「天安門事件知ってる?」 「えーと、10才だった。 ニュースから、ピストルの乾いたパンパンという音が沢山鳴りひびき、学生が一人二人三人と倒れていく。 そして戦車が学生をおいかけてひき殺していく。 なんだこりゃーと、見てた。」 「台湾でよかったねぇ」 と俺 「そう、台湾は自由だからその映像がいっぱい流れていました。」 「子供心に中国はこわい国だ。 中国共産党は悪いやつだという風にすりこまれちゃった。でも本当のことはわからない。」 素直な意見だ。 俺もそう思う。 「台湾のどこ?」 「台中です。」 「俺はそこに行ったゾォ。街にある大きな屋台村でヘビのカラアゲを喰った。カエルも喰った。」 そしたら蔡君に、 「大澤さん、ヘビのカラアゲはニワトリですよ。そんなにヘビいないし、とれませんよ。」 「だって、箱に二匹、生きているのがクネクネしてたゾォ。」 「あー、それダミーです。屋台商売の初歩的テクニックです。」 と、かんたんにいなされてしまった。 二人の留学生はしっかり者だ。 そして数日後、ゴールデン・ウィークのある日に五反田の会場に俺と女房はいた。 ブラウン・シュガーが流れ、スタート・ミー・アップがさく裂する会場はいっぱいの見せ物がならべられ、老人の男と女の多くはワクワク・ドキドキと興奮気味だ。 使いこまれた本物のギターもいっぱい陳列され、わきに用意されたヘッドホーンを耳にあてがうと「悪魔をあわれむの唄」が流れ出すという趣向だ。 会場の中央部に陰びな暗がりがある。 うす汚れて、乱雑で貧しい部屋があった。 偉大なるロックの王者ローリング・ストーンズにも、このような喰うや喰わずの赤貧生活があり、成功のウラには語りつくせぬ悲惨があったのです。 とばかりに、悲しみをさそうビンボーな若者の部屋が公開されていた。 当時の(1960年代)若者なら等しくそんなものなのだから、わざわざ作り物の貧乏を展示するくらいなら、「成功者としてのミック・ジャガーはこの部屋で日々過しております。」 の豪華絢爛ぶりを見たかったなぁ。 あるいはメンバーのスキャンダルとその相手の美しき女の数々を見たかったなぁ。 もう時効ダロ! いよいよ会場の終りには、これでもかこれでもかと言わんばかりに ローリング・ストーンズ グッズがならべ置かれ、旧貧乏、現裕福おじいさん、おばあさんのサイフをねらい打ちだ。 中にはストーンズTシャツを買ってその場で着替える悪ノリのオバアさんもいたりして、年甲斐のないふるまいに興じていた。 我ら夫婦は五千円を惜しむべく、何にも買うことなく、酒場に直行していつもより五千円ふんぱつして大いに酒を飲んだ。 蔡くん、林くん、どうもありがとうございました。 でも、もう年なんだなぁ、ストーンズは少しあればいいな! 2019.5.26 大澤 伸雄 |