インフルエンザA

 渋谷の東急文化村にあるギャラリーでロシア革命が起きる少し前の時代に生きた画家たちの大きな展覧会が催された。そのコレクションは主にトレチャコフという実業家のものであった。それが多岐にわたり宗教絵画あり、風景画、肖像画、民衆の生活画などどれもこれもが圧倒的なリアリズム表現でもって描かれているものばかりなのだ。

 この時代、ロシア帝国の末期の絵画はヨーロッパ的な強い伝統技法によるものが多いから、見る者をこまらせるような不可解はない。その分圧倒的に力強く、どこまでもこれでもかと言うほどにリアルなのである。とくにイリヤ・レーピンという画家による色々な人の肖像画、大活劇的な民衆画は、写真を突き破り写実のあるべき力ワザとは「これだ」と言わんばかりに見事であった。又、イワン・シーシキンの雪景色の森林は細部のどんな現象も見逃さない執念のみによって描かれた、徹底的に自然を再現するゾの精神をうかがうことができた。いっぱいあるのでお知らせはできない。が、「レーピンとロシア近代絵画の煌めき」という本があります。その、いっぱいの絵はどれもがロシアの大陸性、素朴ではあるが力強い民衆の生命力、広大で豊かな風土からはぐくまれた色々な作品には寝汗や咳や悪寒といった脆弱はない。都会暮らしの我らは少しでも不具合を感じるとだらしなく風邪気味だと嘆く。だから、俺はこの絵画展で体力と気合と充実をいただいたはずだった。

 その二日後、俺は弱々しかった。朝なのに起きれない。体中の節ぶしが痛い。ノドがカラカラに渇いている。ロシア大陸の凍てついた農地で労働する農奴の貧しくも力強い、這いつくばる姿を思い出した。だのに俺は寝汗にまみれ、弱々しくだらしない表情で「もしかして、インフルエンザ」と呻く。

 30年、お世話になっている友利先生は
「まだ間にあうな!」と言ってインフルエンザのクスリを処方してくれた。たちどころに、熱は下がった。友利先生には熱が下がっても店に出ないで下さいと強く念をおされてしまった。

 それにしても、体のだるさ、咳、ノドの痛み、タンなどダメージがとれない。ふとんにもぐりながら回想した。
 人ごみをさけながら東急文化村に着いた。
チケット売場の最後尾に並んだ。そうだ、ここからインフルエンザが始まったのだ。
 妙齢の婦人に肩をたたかれた。
「友達がこれなくて券があまっています。つかって下さい。」 そう言ってその方はすぐにスタコラ行ってしまった。すぐにでも追いかけて「ご一緒して下さい。」とか「チケット代払います。」とか、何かアクションをすればよいものを、俺はただ後姿を見やるだけだった。ところがである。

 会場は混んでいて人いきれでやけにあつかった。少し体が汗ばんでどうにも気分がよろしくない。けれど、絵に見入って興奮しているのかそのあつさから逃れなかった。加えてその人の群れの中に先ほどの妙齢婦人がいるではありませんか。
「ああ、何たる運命のいたずら。」 俺はその方の横に立って
「先ほどいただいたチケットの代金、払わせて下さい。」
「使っていただいて私の方がたすかりましたから。」 そして俺は口の中でモグモクわけのわからないその場しのぎを言っていた。
「では観終わったらお茶でもいかがですか。それなら、五分五分ということで、自分としても気分がいいです。」 と上手に言えたと思った。

 俺はあつい会場を出た。青春のほとばしりに全身がこきざみにふるえた。もう、汗びっしょりだ。冷静でなければならぬ。大人として落ち着きをとりもどさなければならぬ。
絵ハガキやポスターを売っている会場出口附近で妙齢婦人を待った。5分たった。10分たった。15分たって、寒い北風の吹きすさむ渋谷の街に出た。そして、俺は熱をだしインフルエンザという魔性にもてあそばれた。原因はロシア絵画ではない。会場の人の群れではない。熱気でもない。魔性の女にふれてしまったということか。

                      2019.2.25
                       大澤 伸雄

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