ラストベルト

 その場所はペンシルベニア州ヤングスタウンという小さな町だ。
アパラチア山脈の山ふところに囲まれ、唯一ある鉄工所が三人の若者の勤める工場だ。 燃えさかる溶鉱炉や、石炭のスス、回転する巨大重機のゴウ音。
1960年代のアメリカには重厚長大産業の象徴である製鉄所が、地方の田舎町にも存在していたのだ。 若者の仲良し3人組は毎日せっせと汗を流し、油まみれに汚れ、働けるという事は 「いいもんだぜ!」 とばかりに元気で乱雑な、でも幸福な暮らしであった。

 町のはずれの安酒場でカンビールをあおり、ビリヤードを打ち、ロックンロールの大合唱に雄叫びをあげ、裕福ではないが健全な若者の日常だ。 そしてまもなくベトナムでの戦争が彼等を待っていた。 そのわずかばかりの時間にアパラチアの山の中に入り込んで鹿狩りに酔いしれるのであった。 その小さな街に生きる男達にとって遊びではあるが神聖で崇高な行いなのだ。 そしてその地方の男達の祝祭でもあった。

 ディア・ハンターから戦場へ。 当然のように戦場でその3人の若者はすざましい暴力体験をする。 片足をもぎとられた者、壮絶な暴力に耐えたが心がくずれてしまった者、頑強な男は一人無事にもどれた。 だがアパラチアの町の多くがその後、ベトナム戦争のキズばかりではない、産業構造の変化にのみこまれ、疲弊の一途をたどるのである。 どこの国にもくりひろげられる繁栄と衰退の歴史と惨状だ。

 話しは突然、アメリカ大統領トランプさんである。
彼が前大統領オバマさんの後任ヒラリー・クリントンに勝ったのは、アパラチア山脈に連なる街や村の産業を創出しなかったからと言う。 この一帯は50年以上、手堅い民主党の支持者が多いところだ。 だが工場はなくなり、労働者は職を失い、明日なき世界となすすべもなく対峙するしかないのである。 そこにトランプさんが登場して工場を復活だ。炭鉱もよみがえらすぞ。 とばかりに、「俺にまかせろ。 もう、オバマもヒラリーも、あんたらのためには何にもしねぇゾ。 イーストコーストとウエストコーストの金持と文化人のためにしか働かねぇゾ」 そして、アパラチアのラストベルトの人々はトランプさんを支持したが、またしても裏切られたのである。

 “記者、ラストベルトに住む” という本の中に 「俺はもう鹿狩りに行く気力もなくなったね。はなっからトランプなんて信じちゃいねえ。だけどヒラリーはもっと信じられねえ」 「仕事がなくてヒマでしょうがねえ。やることないからクスリにおぼれてラリるしかない。このあたりではよく見かける光景だ」 とその本の末尾にあった。

 1970年に作られた映画と2018年に書かれた本を同時に体験したことですっかりアメリカ通になったなんて、これっぽっちも思っていない。 ただ、読んだり観たりするたびに人間の生活ってのは色々だ。 大金持ちなら自家用ジェット機や宇宙船でもって天空をかけぬける夢を実現する。 すごいなぁと思う。 貧乏人の夢だったら浅草あたりのどじょう屋で、いい女とさしむかいで一杯やる。 中くらいなら山奥の温泉旅館で鹿の肉鍋で酒もりだ。 してみるとジェット機であの若き実業家たちは何を追いかけるのだろう。 いまはなき3人のディア・ハンター達は鹿を射止めた。 記者はペンシルベニアの町や地方を時間をかけて自分の眼で見聞した。 天空を超スピードでかけめぐる人々はどんな崇高な体験をするのかぜひ聞きたい。 インターネットテクノロジーの世界で大活躍の方々は地球上をかけめぐる巨大な情報宇宙の中に、ひるむことなく突入していく。

 一方で日本のそこかしこにラストベルトは存在しているのだろう。 
 三鷹の小さな飲み屋はいつだってラストベルトだからいい気なもんだな。 そうさ、ひらきなおるだけだ。 そいつが俺たちの底力ということだ。 何年も何年も商売をしているからだって安定だなどと嘘吹いていると転落のラストベルトにのみこまれるぞということである。

                      2018.12.27
                       大澤 伸雄

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