酔っ払いの妄想、たとえば知人でも親友でもないのに見ただけ、行きちがっただけなのに同じ街、同じ通りを歩いていただけなのに もうその人とは昵こんの間がらで、心は通う、趣味は一緒、はたまた理想主義主張まで同類でござるなどと嘘ぶくやつがいる。 まことに妄想人間だ。 俺もこの仲間だと思われても仕方ないナ! 平成30年度、日本文化勲章の授与式が11月3日 皇居にて催された。 その大変な栄誉ある式典に列席されている方々の中に、山崎正和さんがいらっしゃいました。 もう年甲斐もなく胸がざわめき、大声を出して 「おい山崎正和さんが文化勲章だゾ!」 と女房に向かってダイカッサイだ。 すると、 「あなたが どうカンケイがあるのよ!」 と冷たい口調がかえって来た。 その通りだからすぐにだまった。 でも50年前の記憶があざやかに蘇った。 その頃、近代美術館はいまの竹橋ではなく、東京駅八重洲口にあって、現在は国立映画アーカイブス、フィルムセンターになっている建物がそうであった。 そこでもって現代アメリカ美術展なる スケール、実質ともにスゴイ展覧会が催された。 記憶にうかぶ作家を並べてみよう。 ジャクソン・ポロック、ハロルド・ローゼンバーグ、ジャスパー・ジョーンズ、アンディ・ウォーホール、ウィレム・デ・クーニング、など1960年代を疾走した勇ましき芸術家の作品が勢ぞろいした。 20才の若者は背伸びして出かけた。 予備の知識もなく、あるのは無知と生意気だけ。 その生意気にガツンと食い込んだのがジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングだった。 ハケにペンキをたっぷりふくませ、投げつけて白いキャンパスをうずめていく、果てしなき抽象と偶然のたまものでしかない作品、俺はその前に立ち止まり、その暴力的エネルギーに圧倒された。その絵の前には、もう一人魅せられて立ち止まり静かに静かに凝視している人があった。 長身にしておだやかな表情、やわらかい理知的な雰囲気は20才の若者にはあまりにもまぶしかった。 その方が山崎正和さんであったのを直ぐに理解した。 ある雑誌に文と写真がケイサイされていて、「こういう文章を書く人というのはどのような方なのか」と、あこがれ、感動、そしてねたみをいだいて読んでいたので、タイミング・グウゼン・ああこんなことってあるんだなぁとドキドキしながらそっと後ずさりをして、だまって去った。 だいぶたってから市川染五郎さんの主演で「世阿彌」という芝居を池袋の劇場に観にいった。 シナリオに感動していても実は生の芝居を見てはいなかった。 まことに失礼ではあったけれど、それが実現したのは女房のおかげだった。 「世阿彌のチケット買ったわ。だって染五郎さんに会いたいもの、それに藤純子さんにもね。」 それだけ言って、俺の山崎正和さんへの想いなど全く知らんぷりだ。 「なまぐさい。 風がなまぐさい。 また人が死ぬ」 「とかく花を吹くすっぱい風は、死人の匂いがするもの」 というセリフから始まる舞台に、さっそく引きずり込まれ、足利義満の光、それに対する影としての世阿彌の対決ドラマ、おそらく3時間近くの劇をたっぷり楽しんだ。 血と汗と魂の苛烈なせめぎ合い、そして世阿彌は歌え、踊れ、舞い狂えと 呻きながら死へとむかう。 芝居は悲劇的ではあったけれど、いったんそれが終れば、劇場の入口、ホールは沢山の人にあふれかえり、にぎやかで はなやかだ。 ことに、染五郎さんやその妻のまわりには握手やサインを欲する人でいっぱいだ。 俺は居並ぶ主演者の方達のはるか片隅に山崎正和さんを見つけた。 誰一人握手やサインをねだる人がいない。 「あの人が山崎さんだよ!」 「あなた、サインもらいましょ!」 「バカ、そんなみっともないこと、できねぇよ。」 「なに気取ってんの、あなたの大好きな人でしょ。」 女房におもいっきり背中をおされて、二人で山崎さんの前に立った。 しずかにあたたかくゆっくりと握手をいただいた。 うれしかった。 50年前のジャクソン・ポロックの絵の前でソウゾウした光景が はっきりと見えた。 追記、 女房はそのあと ちゃっかり世阿彌の劇パンフレットに山崎正和さんのサインをいただいていたのである。 女はアイキョウではない。 女はオソロシイである。 2018.11.23 大澤 伸雄 |