物事や言葉は すべからず簡単でやさしく 解りやすいがよい。 やっかいな言いまわしで人をなめきった国会での答弁などは、喋っている当人がもっとも「俺は何んとも いけない言葉をつくしているゾ」と認識していると思う。 早口や多弁は 人間の心のごまかしを いやおうなく表現してしまう。 「杉山のやつ、もとをたどれば俺のところに新人で配属になり、一から仕事を教え、技術力をきたえてやったのに、恩義のかわりがこの冷やメシだぜぇ」 「それ、人間として やってはいけませんよねぇ」 「誰のおかげで社長になれたと思う。 俺が 杉山の仕事ぶりを やつの同期の連中にアッピールしたからだよ。」 「私も少なからず杉山には異をとなえたいです。 ちょいと調子のりすぎていませんか。アイツ!」 先輩の上司と従順そうな若き同僚のかもしだす、きわめて一般的で、普遍的な会社員の姿で、このセリフによる同意と嘆きによって、働く人々はどんなに救われていることか、又 心をなぐさめられることか。 それ故、酒場という精神の共和国、精神の緩衝地帯が必要なのです。 若く力ある社員がバリバリ仕事をこなし、生き生きと工場の中をカッポしているのをスガスガしいと見るか、それを生意気だ少しは謙虚になれよと見るかは、時運にもよるが、それこそが個々の技量なのです。 誰だって若い時の自分をふりかえって 「俺は実にたのもしく、頼りがいがあったゾ、仕事もできたぞ」 なんてハナもちならないことは言わない。 たいがいは自己を否定的に言う。 やがて若者は力をつけ、ワザも身につけ、一人前になると力を発揮して年寄、先輩を駆逐したくなる。 それは人の道理である。 成長と変化のあるべき当然の現象だ。 お二人の会話から、社長になった冷淡な 杉山さんという方を想像することはできない。 でも 俺の感ずるところでは組織を司る方は、おしなべて慎ましく謙虚である方が多い。 造反有理をとなえるは若者の特性だ。 造反有理にさらされるのは事をなしとげた者の苦々しい不当な栄光だ。 あらゆる職場、あらゆる組織に造反有理は渦巻いている。 ちなみにこの言葉のどでころは、中国共産党の毛沢東であります。 いまさら こんな古い言葉をひっぱり出して来て、今時の若者にひっぱたかれそうだな。 そうさ、若けぇもんが年寄りをひっぱたくのさ。 それが造反有理ってやつさ。 ケンドリック・ラマー黒人のラッパーが R ストーンズを駆逐する。 堂々たる造反有理だ。 2018.10.14 大澤 伸雄 |