キクチ君は天文台近くにあるアルコール患者専門の病院で働いている。
多くの患者さんは病院の部屋で生活しているから、生活上の色々をめんどうみることが仕事だ。 話し相手もする。 願い事も受ける。 「酒をくれ!」だけはしりぞける。 若い男子がなかなかの困難な仕事をえらんだものだと感心する。
近頃ではめずらしいマッシュルームカットで、肩まで届きそうなくらいの長髪だ。
色白でキラリと元気な眼がひかる。 健全な若者が文庫本一冊をもって元気に飲みに来る。 どうもその長髪だけが奇妙でちぐはぐである。 そのちぐはぐはロングヘアーだけではなかった。
「大澤さん、今日はなんの日か知ってる。」
俺はたちどころにひらめいた。
「日本の国民とし忘れちゃいけねぇな! 8月6日広島に原子爆弾が投下された日ということだ」
何しろ10分前にテレビのニュースを見ていたもんで、キクチ君には悪いけど即答してやった。 ついでにどんなもんだいとうぬぼれてやった。 キクチ君「知ってたんですね」とぽつりと言う。 若干25歳の青年にハナをもたせないで、えらそうにはしゃいでいる俺を恥じた。
それからキクチ君は一冊の詩集を開きさし示した。
永遠のみどり
ヒロシマのデルタに
若葉 うづまけ
死と 焔の記憶に
よき祈よ こもれ
とはのみどりを
とはのみどりを
ヒロシマのデルタに
青葉 したたれ 原 民喜(タミキ)
とあった。
ああ美しい言葉だこと 切ない哀しい祈りの言葉だ。
次の日 この人の小説「夏の花」を手にした。 おくればせながら、この本を読んでいなかったことを恥ずかしく思うけれど、この年にになって読む原民喜は深い深い縁起を抱く。 キクチ君オトナゲなくてゴメンナサイ。
若々しく25才の壮健な男からこの夏、静かな叱責をいただいた。
「夏の花」をひとりしずかにかみしめたい。
2018.8.12
大澤伸雄
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