「店も同じだ。大澤君も同じだ。うれしいねぇ。 ロシア人生引退して やっと 日本に帰ってきたよ。」 相好をくずして 小さな老人がひとりカウンターにすわった。 はたして どなたでしたかねぇ と少しばかりさぐった。 "ロシア" で記憶の糸をひっぱりあげた。 その方は商社のモスクワ駐在員を長くつとめた。 体は小さいが元気満々、いつもニコニコをアピールしてロシア人を相手にブルドーザーを売りまくったという。 「もちろんコマツですよね」とたづねたら、「零下20度30度があたりまえの土地だと コマツよりアメリカのキャタビラ社の方が強くてね、日本を見捨てちゃったね。」 「それに俺は外交官じゃねぇから、相手にとってよりいいものを見つけては売るというのが俺の仕事なんだ。」 「足かけ30年、3千台ブルドーザーを売ったよ。」 すごいことだと感動、でも俺だって 月にしたら3千から4千本ぐらいのモツ焼き売ってるぜ と言おうとしたけどやめた。 何も自分からスケールの小さい人間をお見せしなくてもよかろうというもんだ。 「なにしろゴルバチョフの時代だ。会社あっての俺だ。こんにちのように外国にいって さっさと勝手に商談をまとめて帰ってくるなんてできない。」 「商談は15分で終る。それからがたいへんだ。ウォッカ飲みくらべ大会だ。アル中の大統領がいたくらいだから ロシア人は大の酒好きだ。俺の自慢はこれからだ。 ハラショ!とかいい加減なこと言いながらしぶとく付き合う。酒に弱い日本の商社員諸君は酔ったふりをしてモウダメネ、モウダメネを連発して逃げ出してしまう。それでもって あとは透きとおるような白き柔肌が待っている暗い部屋にかくれてしまうのさ。」 いいですねぇ。鈴木さん(日本を代表する名)も そうとう おたのしみ したんでしょうね。 「いや、俺は大澤君とちがうから 女にはきちんとしているんだ。 白き柔肌に溺れて失職した人間をずい分見てたから勉強になったよ。当時は社会主義国だから そういう女の人も公務員だったんだ。」 女のよしあしと職業はつながらないしょう。反りがあうか、心がゆるむか、そして白き柔肌。 「どうも、大澤君はそこに焦点を合せるねぇ。実は俺 登山家でね。コーカサスの大平原の向う側に連峰が見える。そこが俺の二番目のロシアなんだ。そして俺の自慢はロシアではじめて外国人のロシア山岳会の会員に選ばれたということ。どうだ。俺はブルドーザーばかり売っていたわけではないゾ!」 仕事を通じてソヴィエト・ロシアとつながり、そこを足がかりにロシア大陸のド真ん中 コーカサスの山々に分け入り 壮大な大自然を経験した人間。目じりにシワを寄せ ゆるやかに笑う顔から旺盛なエネルギーと 底知れぬ地力がにじんで来る。 「零下20度、30度なんてところに人間は住んじゃいけねぇな。なのにロシア人は生きている。俺も人生の半分近くを生きてきちゃったよ。もう いいかな!」 ついでにと言って申し訳ないのですが、ワールドカップロシア大会 見ていますか。 「俺は皆さんが大騒ぎして楽しんでいるのに水をさすの嫌だけど ピョンピョンはねて皆んなで盛り上がるなんてのは苦手でね、連帯と精神の高揚ってのも苦手でね。」 それだけを言って 又 酒をつづけた。 体は小さいが、ロシア国を相手にデカイ仕事をなさり、高尾山しかしらない大澤君にコーカサスの山の荘厳を語ってくれました。そのような方だから酒はゆっくり寡黙にのみ、グラグラゆれながら しこたまに酔う。 2018.7.14 酷暑 大澤 伸雄 |