今日、日本国の総理大臣であらせられる方はアメリカ国の大統領と会談をなさり、両国が地球規模の平和と経済についてを語り合い、偉大なる政治家としての行動を世界中にお示しになりました。従いまして、それぞれの自国における失敗や多少の悪政はとるにたらぬものであり、さしひきは「政治の王道とはこのようなもの」と、御両人は互いをたたえながらジーット見つめあっていました。 この映像をながめていると政治家を生きる人の強さ、たくましき心の頑強さはなみたいていのものではない。 「そりゃ私も人間でございますから、ちょっとしたついでにですねぇ、小学校とか大学をどうぞやっちゃって下さい、といいました。 でもですね、でもですね、朝鮮半島の非核化の方が大事なことは明白ですよね?」 又、あの早口が耳の中でけたたましくさく裂した。 夕方、出向く 朝日湯は俺の大切ないこいの場所だ。 湯にひたり、体をあらい、すがすがしい気分になって風呂からあがる。 カンビール片手に談笑する者、黙々と身づくろいをして帰って行く者、いまも昔も小市民の社交場なのにはちがいない。 だからいい人もいる。嫌な人もいる。こまった人もいる。 このこまった人に出会いたくないから時間をずらすのに 又 会ったりする。どうも相性がいいとしか思えない。 こまり男はテレビのニュースが大好きだ。 アナウンサーの言葉じりに反応しながら大いに、ひとりもり上がっている。「けっこうなことよ、大学が新設されてよ、村がにぎわってよ、文句ねぇよな!」 と、となりに座っているだれかれに同意をふる。 いえ、文句あります。なんて言ったらケンカになるに決まっているから、たいがいの人は「そうですねぇ」と心をかくす。 そして再び日本国の総理が画面に登場した。 「このような文書、かいざん問題が二度と起きることのないように組織を改革しなければなりません。」 すると こまり男はすかさず「オマエじゃねぇか、はじめっからオマエが原因なんだよ!」 政治に生きる人の鉄面皮も嫌だ。 が、すぐそこで大きな顔してヤジる男もこまった者だ。 一方、鉄面皮答弁をひるむことなく繰り返す役人は、自らの犯した行為ではないから恥じることではないとして、又 職務としてであるから 何度でもお述べになる。たいへんな役人魂しいだこと。 ただ感心するばかりだ。 知力と胆力と真実であろうが嘘であろうが 一国の総理を守る忠誠、ああ庶民にはない怪物性が国会内でくりひろげられている。 こまったおじさんの反論はまだまだ続く。 はたして銭湯 対 国会の論戦はどんな結末になるのか気にはなったが、ながく居合せていると 「どうよ、そうだろ!」 と、こっちに向かって来そうなのでソワソワと引き下がった。 そうだ、あの人もよく国会をなじっていたなぁ。 保守の論客として孤軍奮闘、そして 自殺。 本人は自裁死と言っていたが その顛末は無念な方向に行ってしまった。 生前の西部(ニシベ)さんは権力におもねる心根がくさってしまう者へ決然と戦いをいどみ、いつも強い口調で自らを語っていた。 潔いその心が大好きだった。 その西部さんを知る人がバサラにもいた。 静かな語り口調、静かなる眼先、なによりもうまそうに酒を口にはこぶ。 その方が一冊の本をさし出した。「保守の遺言」とあった。 西部さんの娘さんによる口述筆記、最後の本であった。 俺はその本を手にしたが、心は晴れなかった。 自分だけは死ねたけれど、二人の手助け人間がいたこと、二人は自殺ほう助でつかまり、起訴されてしまった。 西部さんの信奉者とされているが、そのような者に手をかりることを強く否定するのが 常日頃の西部さんではなかったか。 口述筆記によるものだからか、文脈がいそがしくあばれ、けたたましく言葉が乱れている。 俺の頭ではとてもとてもおいつけないほどにむづかしい。 死を前に頭脳が高速回転しちゃったのかなぁ。 しかし、平成三十年一月十五日に書かれたあとがきは人間 西部邁(ニシベススム)の確かな遺書でありました。 |