開戦前夜

 店の中のテレビジョンニュースに米国大統領 トランプ一家が映し出されている。 ケンラン(絢爛)ゴウカなる美女・美男に囲まれて豪勢 ここに極まれりの表情で笑いをふりまいている。 それをながめていたオントシ90才近い田畑先生が呻いた。
 「禍福は あざなえる縄みてえだな」
 「どうしてですか」
 「大統領になって てっぺんに行き着きゃあ あとは落ちるだけだ。すぐそこに戦争がちらついてちゃあ たいへんだあ」

 誰もがそうだとは言わないけれど人間、本質のところでアナーキーだなあと、先生をながめていると そう思えてくる。 多感な思春の頃 日本は戦争の真っ只中にあって、その時代のうねりの中に生きた。 そんな年寄りじゃあなくても、今日この頃の時代が限りなく戦争に接近しているぐらいは理解する。

 夕暮れ時になると レバーやタンやハツなんかを 「チョイ焼きでおねがい」 なんて通ぶった若い者がこまかいことを言う。 ついでに「今日のレバー小さいじゃねぇー」 とかグレ(愚連)る。 そしたら その向こうのテレビジョンに キム・ジョンウン総統の二重アゴが映る。

 「あんなブクブクだらしなく ふとりやがって、北朝鮮なんか 早くつぶせー。」
と、シュプレヒコールだ。 ホッピーの酔いは若い者の色々な勇ましさを後からどしどしあと押しする。 はたして、国家の指導者という人達は戦いに突入する時、
「では戦争しましょうか!」 と言うのですか、そこが知りたい。
 敵国がうるさいと言ったり、石油の輸入をボウガイしたりとか、海上で水道ホースのでかいやつで水をかけ合ったりとか、でも 米国の大統領はちがうようだ。

 だから今回も北朝鮮に行う戦争は 「あなた方のミサイル」 「あなた方の核」 があぶなすぎるからなのです。 と言って、トランプは首をたてにふるのです。 そして色々な飲屋で 「レバーが小さいの、大きいの」 と言ってケチをつけながら若い者はホッピーをあおり、「おお、トランプやるじゃねぇか」 と勇ましくカンパイする。

 戦争を歴史の好転とながめていた若い者は うちふるえる歓喜の雄たけびを上げ、トランプをたたえる。
 ほんのちょっとだけで済む戦争、敵国にダメージをあたえ、そしたらすぐに終了する戦争と 大統領は算段していたのに、ジョンウン総統は まことにしつこく反抗してくるだけではないか。 戦争が長びくと政治家は弱くなるのは当たり前だ。

 戦争の実務をにぎる軍人がいきおいづき、もはや政治家は責任を放棄し どの戦争においても終結するのは歴史の流れにまかせるしかない、なんてことに、つまりはこれ、世界の法則なりと。 「おい、それ唯の責任のがれじゃねえか」

 俺の親友のユウちゃんが言うには、北朝鮮の後ろにいる中国と米国は絶対に戦うことはないんだ。 中国に進攻したことは一度もない米国は実戦はしない。 口先のこぜりあいはあっても基本、中国と米国は仲良しなのです。 中国は後ろ盾のポーズはとりながら この戦争を傍観し、実戦は北朝鮮対韓国・日本という図式をえがいているんだよ。

 「じゃあ、トランプおじさんは戦争をしかけておきながら、おまかせは日本と韓国てぇことか。」
 あたりまえでしょ、せっかく獲得した大統領の座ぶとん、対岸の火種を本国に運び込むなんてことはしないねぇ。
 任期満了まで禍福の福だけをしゃぶりつづけるわけよ。 勤勉なサラリーマンを生き、雄弁なる軍事評論をお述べになりながら ゆうちゃんは 「今夜のレバーうめぇなあー」 ホッピーをあおりながら
「戦争がはじまったら、若けえ者はたいへんだ。いまのうちに うめぇレバー食べとけ!」

 70年も前、どこかの飲屋でも若けえ者が酒に酔って 「このレバーうまいねぇ、おねえさん どこの生れ。 俺にしゃくしてくれねぇか。 今夜は給金が入ったんだぁ、たんまりのむぜぇー」 とか言っちゃって、その同時刻にゼロ戦戦闘機は真珠湾に奇襲していたということか。 誰も責任をもたない戦争、歴史の運命だから戦争という論理、どうにもやりきれないけれど人間世界は あざなえる縄なのですか。

                      2017.5.5
                      ゴールデンウィーク
                          大 澤 伸 雄

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