正月のひとり酒

 ひとり酒は楽しい。 じわじわと酒が体をあたため、じわじわと酔いが頭の中にしみ込み、ゆれるように人間全体を包み込んでくれる。 このゆるやかな時間の流れを ひとりでいると 誰れ彼に邪魔されることなく楽しめる。

 「いま、どちらで飲んでいらっしゃるの。ごいっしょしたいから どちらでもうかがいますわ。」 なんてこと言ってくれる女がいないから、今夜もまたひとりだ。 それでもって国立の谷保に着いた。

 ガラリと引き戸をあけると、うつろに酔いしれている大きな男がいきなり目に映った。 どこかで見た顔だが思い出せない。
 「よっー、伸ちゃんじゃねぇーか」と俺の名を呼ぶ。その声はよだれをたらすように、だらしなくロレツがいかれている。

 その男のトナリは嫌だから奥の席にむかった。 五十才位の笑い顔のたえない人の良さそうな方だから、俺は安心してそこに座った。 その向こうトナリのキツイ近視のダンナも俺を笑顔でむかえてくれる。

 「今夜はずいぶん幸せがいっぱいだ。」と、俺はわけもなく自信満々のひとり酒だ。 人間が弱々しいと人は近づかない。 だってそんな奴つまらねぇだろ。と言っていた酔っ払いがいた。と同時にその酔っ払いの男の顔が浮かんだ。 そうだ!

 「よっーう、伸ちゃんじゃねぇーか」とよだれをたらして、だらしなくほほ杖をついていた男こそが、そこにいた。 ハルちゃんだ。
若き日の達者で威勢のよいアンチャン風は激しく衰え、水気を失った老木がうなだれて突っ立っているだけのようにして 「よー 伸ちゃん、ここに来てくれよー」と連呼している。

 人間 弱々しいと人は近づかない、だって そんな奴はつまらねぇだろ!と断じていたハルちゃんは言動一致、見事にご自分でその言葉を生きていらっしゃる。
人道主義者の俺はハルちゃんのトナリに座り、愛と優しでもってたっぷりハルちゃんの理解不能のザレ事バナシを聞いてやった。 その間、ハルちゃんには白湯、俺には燗酒という差はあったけれど、心はかよったはずだ。

 まもなくして、酒をいくら頼んでも飲ましてくれない、希望は叶えられないを認め、ハルちゃんは引き戸をあけて外に出て行きました。 と同時に、店の中はため息とともに、少しやすらいだ空気がただよっている感じがした。

 小さな酒場はどこでも同じだが、そこに少しでも異様があったり、いたりすると居心地が悪い。 でも悪くたって そいつは酒場の風景なのです。 ハルちゃんも、よくしゃべる女二人も、人の好い五十才も、近視の強い頭のはたらき者も、いまにも泣きそうな演歌好きのひとり酒女も、当人は気づかないけれど、酒場の風景はそれらの人々によって成り立っているんだなあ。

 かって、谷保には高倉のケンさんと加藤のトキさんが商っていた 兆治という飲屋があった。 高倉のケンさんはご存知のように無口で無骨で時代遅れでと、どこかの場末に必ずある、又 必ずなくなる宿命を背負った店を切り盛りしていた。

 客には村長、村の青年団員、大工職人、サラリーマンなど多士済々の人々がいらっしゃる。 加えて、文人墨客、エンタテーナーまで、そして、その酒場は通っていた多くの人が亡くなったように、高倉のケンさんも亡くなったように、消えて行ってしまった。

 だけれど、今夜、俺ははっきりと見た。 いつか見ていた酒場の光景があざやかに再現されているのを。

仕切る浜岡のノブちゃんは長身から見下すように酔っ払いに
 「もう、それ以上酒をのむな!」
 「うるせぇから、静かにしろ!」
高倉のケンさんより少しきついが情は同じくらいに深く優しい。

 うらぶれた路地に赤ちょうちん、チャンチキおけさがどこからか流れる。 消えゆく宿命を背負った路地裏の酒場、どうか、どうか、長寿を全うされることを祈って、又のひとり酒、よろしくおたのみ申し上げます。

                                  大澤 伸雄

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