若者の未熟と生意気な所作に出くわしたり見たりした時、むしょうにうれしくなる。 「ああ、俺もあんなだったなぁ」 「若いのだ!あれでよいのだ」 「元気がいい!気合がいいな」 などと、咎めを忘れて若者をひいきしたくなる。 たいがいは「今どきの若い奴らは」という枕詞で、いつの世も(若けぇもん)をダメセリフで片づけてしまう。 そのダメさかげんが若者たるあやうさと突っ走りにあるのだ。 俺はもう若くない。 若くないけれどダメさかげんと突っ走りたがり屋と、その怪しげなあやうさは今も俺の全身を包んでいる。 年寄りの突っ走りは醜い。 いい年を重ねて思慮のたりないタダの破レン恥と断罪されるだけだ。 世界は大きな調和によってなる のたとえが婆娑羅にあるかのように、店の仕事を手伝いしていただくアルバイトの学生さん達は実に誠実で働き者だ。 加えて俺よりオトナだ。 年寄りの暴走をせとぎわでくい止めるべく 「大澤さん、奥の方で休んでいて下さい。」 「もう少し オトナになりましょうよ。」 「お酒はそれ以上飲んではいけません。」 などなど、いっぱいの忠告によって危険な年寄りの突っ走りは制御されているみたいだ。 だいぶ前の事、瞳のキラキラまぶしい女の子が手伝いにやって来た。 徳島県の石井町という田舎町で育ったという、そのキラキラ瞳の女の子はお酒も強いが、口もきっぱり強かった。 「大澤さん、もう少し女のお客さんにやさしくして下さい。」 と、まったく思いもしなかった忠告をいただいた事があった。 自分では殆んど認めていない潜在の闇をさされたと思いゾッとしたが、キラキラ瞳の女の子の想いは 店の主人(あるじ)として公正にふるまいなさいという、若者の正義の現れであったのだ。 ああ、たのもしき若者、されど恐ろしき若者! 以来、なせるかな俺は女の客にやさしく手をさしのべ、しっかりと手をにぎる事を心がけているのだが。 「それが年寄りの暴走なのです」 と又、キラキラ娘に叱責されるな。 この婆娑羅では若者より年寄りがあやうい。 未熟とは まだまだ どこまでも未完ということだ。 若者をながめ、若者から学べと。 だが へつらうことではない。 追記 九月中頃、徳島県の石井町から 美しい深い緑に育った「すだち」がいっぱい届きました。 バサラの自家製ポン酢は この「すだち」をしぼり、作っています。 期待して下さいませ。 2016年9月19日 大沢伸雄 |