季節は移り、とうとう汗にまみれ 激しい太陽にやきつけられる頃になってしまった。 俺の肉体再生計画では七月は、すべての右足についている装具ははずれ純粋に素朴な一本の足になって、自分の力で地面を踏みしめて歩行を開始していることになっていた。 だが、残念なことにヒザからカカトまで がっしりとプラスチックの装具に包まれ ロボットのままだ。 暑い日は汗まみれで、中がぐっしょりとムレムレの状態で松葉杖をあやつってコツコツと懸命に歩行している。 人並すぐれて心の弱い俺は、「ならば健全に身体の障害をいきてやるさ」 などと言って、ひねくれている。 そんな ひねくれを吐くから、いつまでたっても人間が小さく、心の醜悪からのがれられないのさ。 人間という苦境をバネにする特異な生き物は、なんでもかんでも思いつくものである。 思いついて色々な事を発想、発明するから余計にまごつくのである。 救われたい、救われたい。 楽になりたい。豊かになりたい。 苦境にある人間がそう思い込むのは いたって当たり前だ。 苦境のぬけ道を伝授して、あることあらぬこと、方便の限りをつくして本を作りあげる。 「我 ススム道は前ノミ」 ってな、うすっぺらな作者の自己宣伝をきかされ、読まされたりと、ぬけ道伝授されても たいがいは失敗に終わる。 ガマン、シンボウ、セイジツ、ドリョク、これだけの文字を もし、俺が生きぬいて実践できていれば 向かうところ敵なしだ。 なのに肉体再生計画はトン挫して、骨の具合があまり進展してくれない。 「ああ、嫌んなっちゃうなあ」 とすねたり、しょぼくれたりとダメ男の標本みたいに 日々を過ごしていると、背後からしぶい老獪な声が流れてきた。 「大澤君 片足だからって心までヨタッテちゃ だらしねぇな」 「俺は脳梗塞から生還したぞ。86歳だ。 どうだ。指のマヒもやっつけたぞ。どうだ。」 と粋がってニンマリ笑って、ついでにパチンと指を鳴らしやがった。 登紀夫さんは放送局の記者だった。 フランス語を一緒に習った仲だ。 若く美しいマドモアゼルを争奪しあって、互いに敗れた同志だ。 「いつまでたっても、お前は軽調フハクな奴だな」 とニヒルになじる。 そして くすぐるように笑う。 俺はその横顔が好きだ。 「しょんぼりしているだろうから、このCDをプレゼントするよ。」 「ロバート・ジョンソンじゃ、大沢君には古すぎるから、エリック・クラプトンにしといたぞ。」 「I stilll do だ。 少しは厚みのある人間になれ!」 ああ、またしても 登紀夫さんに看破されてしまった。 追記 この I stilll do というタイトルのCDは クラプトンが71才になってもなお 「俺はいままでも、これからも、ずぅっとブルースを続けていくぜ!」 と生きる気 満々の作品であります。 だれ、かれにススメルものではありませんが、そのムキがお好きな方々には よろしいかなあと思います。 2016年7月10日 |