我、藩主 マスゾエヨウイチ公は眼光するどく、知力もすぐれ、舌鋒さかんで、どのような相手でも口で打ちのめしてしまう勢いの強い殿でありました。 なのに、どうしたことか小銭騒動なるへんてこりんな事件に巻き込まれ、「セコイ」という失礼千万な暴言まで吐きつけられて、バカ呼ばわりまでされています。 性根がくさっている、ケチ、嘘つき、ヒキョウ者、ついでに裏切り者、まで人を傷つける言葉の一切が殿であられるヨウイチ公に浴びせられているのです。 少し前まで我等 民は、殿の清廉潔白なる人柄、亡き 殿の御母君の介護をなさる程の心優しさ、巷に聞き及ぶところによると、そのオムツまでも自らの手をよごれるのもかまわず それをなさっていたという。 介護と口でやすく言って、本当は何にもしない民がのうのうとしている。 そんな世の乱れを正すがごとくに、殿は見えぬところで精進していらっしゃいました。 世のため、人のため、週末の休みも公私混乱しても、いつも「まつりごと」にかかわっていたのです。 だから、公用車を使ったって、美術品や書籍を買ったって、バレなきゃよかったのです。 小さい小さい不正など、殿が「まつりごと」の中で執り行われる天下国家にかかわる巨きな事案をもってすれば、なきに同じなのに。 なぜ、卑しく小ざかしいお買物の数々がみつかってしまい、もっと格調の高いホテルに宿泊しなければならないはずの殿御一行がホテル三ケ月なる安直な家族向きになさったか。 殿ヨウイチ公は心のハシに藩の財政状況を少しはかんがみて格を落としたのでしょうか。 バレないような高度な管理をしなかったのは、その一つ一つが小銭であったから油断したということでしょうか。 それにしても、殿ヨウイチ公は天下国家を乱歩する者として少々手のうち、知恵のうちが女々しく、民を不必要に落胆させてしまいました。 このような小銭事件で世を騒がせるくらいなら、我藩のホコリであらせられるヨウイチ公のなすべきは、ダム一個分ぐらいの業務上横領が相当であって欲しいのに、なんだか、ケチで小ずるい知恵のきく欲張り女房にそそのかされたということか。 あるじは去り、その座に恍惚として意地悪い女の笑いが、などと想像したくなる。 「アンタ、そんなの経費でおとしなさいよ!」 「下々は誰だってふつうにやってるわよ!」 本当におそろしいことは、この小さな小さな悪が知られないところで無限に重なっていき、いつしか邪悪なるものに平気になり、寛容になってしまうことだ。 「殿、まことに恐ろしきは 身内の悪知恵にあるぞ」 われら民は完全無欠なる善人を生きられるとは思えない。 だからといって、こっそり悪をなして平然と暮らし、ニコニコできるほど技量がデカくない。 そんな人間だから小さな悪を、いちいちやっつけたくなるのだ。 2016年6月12日 大澤伸雄 |