願わくば平穏死

 人はどなたも 平穏に、環境や生活状況の違いはあれど親の介護から逃れるわけにはいかない。 人非人になって背を向けて、周囲の者の非難、罵倒を引き受ける強い意地があるのなら「介護なんてぇのは、俺のやることじゃねぇ!」 と啖呵を切るところだが。

 まあ、たいがいの人は俺のように仕方なく引き受けているか? だが、やさしい心を持って介護を行っている方もいるはずだ。 そんな慈悲深い人に世話されている人はきっと善行をたくさん積み上げた人なんだろうなぁと思う。 ということは、裏返して眺めると、俺みたいな輩は捨てられ、放置され、あてどもない塵、芥が結末なのか。

 母親はもやは、立ち上ってトイレに行けない。 自らの意志で摂食できない。 終日 睡りの中にいるだけだ。 女房の力を借りて下の始末をする。 バリバリと手際よく作業する女房に、オタオタしている俺がいるだけという不具合だ。 ここで提言、「嘘でもいいから夫婦関係は良好に仕立て上げておく」ということだ。
 良好という夫婦関係、たとえ虚構でもよい、それさえあれば介護生活の半分は大丈夫だ。

 家庭内の権力闘争なんかどうでもいい。 平穏なる終末をいかに用意できるかだ。
生存の最終段階にある我、母の小さくなった寝姿を 昨日入院した病室に見た。 五月十一日は母の日ではないか。

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