春だ、春になるぞ、もうすぐ花も咲くぞ! などと天気予報は浮かれ話をこれでもかとばかりに流す。 そんな言葉を洪水のように聞かされたら油断した気分になるというものだ。 それなのに 見事な大雪に見舞われた。 浮かれた気分はいっぺんにへこみ、夢も希望も踏みづけにされて 再び 絶望の淵に追いやられてしまった。 だから忘れられぬ夜となってしまったのだ。 深夜、雪をかきわけて、やっとの体で帰宅すると、どうにもムカムカする。 すこしばかり お腹もシクシクする。 どうしたんだろうなぁと思いながら、今日一日口に入れたものを反復したが、特別 嫌なものを口にしていない。 と、その数分後、吐き気がこみ上げ トイレに走り込んだ。 それからは便器に顔をつっこんで ひたすら吐いた。 それに加えて下痢の連射だ。 身体中の水分が抜けていく。 少しの水を口にする。 次の瞬間 再び 嘔吐と下痢だ。 それが止んだのは夜があける少し前だった。 俺は死を予感した。身体の水分はこうして失われ、肉体はしぼんでいくということか。 翌朝、病院に駆け込んだ。 点滴を受けた。 ノロウィルスということだった。 春の雪は、俺に ノロウィルスの恐怖を届けてくれた。 まったく余計なことだ。 3日程で体調は回復して普段の生活に戻り、仕事もいつもどおり。 酒もいつもどおり おいしく、少しだけ酔って帰る。 いつもの夜道を軽快にペダルをこいでいる。 “夜はまだ寒いなぁ! 愛する猫は俺を待っててくれているかなぁ! ” 他愛もない想いをしながら走っていると、いきなり 俺の左後方に タッ タッ タッ タッ とぴったり並走している奴が出た。 出現して すぐの後で走っているのである。 タッ タッ タッ タッ と走っている足音は聞こえるが 呼吸はなく あたりは静かだ。 ああ、やっぱりそういうことかと観念して、後ろを振り返らず、前だけを見据えて ひたすらにペダルをこいだ。 次の信号まで見てはならない、見てはならないと念じながら、俺は走った。 そして一気呵成に、青信号に変った横断歩道を渡り抜けた。 同時に タッ タッ タッ タッ は消えた。 硬直した体から力がぬけ 走りもゆるんだ。 “なんてこった” とつぶやきかけたその時、ものすごい北風が吹き、凍るような冷気にさらされた。 これも続きかよ! まだ終わっちゃあいねぇのかよ! いつも、いつも通っている道なのに、見えないドラマが潜んでいるんだなぁ。 こんなことも春だからだ。 嫌な季節だ。 人間を愚弄する季節、人間をだまし討ちにする季節、いつも いつも 俺は春というやつにもてあそばれている。 浮かれ 酔いしれての花見など断じてしない。 |