右眼に嫌な暗い痛みを感じたのは 昨年の暮れもおしつまった頃だ。 俺の予感は的中した。 右眼はかすみ、軽い頭痛が間断なくはしり、冬の光が異様にまぶしくなった。 どの病院も最後の診察だという年末のやたらに混んでいる眼科にかけ込んだ。 俺の眼を覗き検証している先生は無言だった。 それだけで病状が“やばい”というのはすぐ解った。 「頭も痛いんじゃないですか?」 「ハイ」 「眼圧35です」 「エッ!」 「炎症もひどいです。」 ちなみに、俺の正常な左眼の眼圧はその時、16であった。 先生は、あまり使いたくはないが、とにかく眼圧を下げましょう。 危険な状態ですからと きっぱり言い切った。 その薬を飲むと、手・足の先がビリビリとしびれ、脱力感に全身がおそわれる。 ただ、しびれは 考えようだが心地よい気分になることもある。 殆ど先しか見えない。 物の形状はとらえられない。 右眼はすりガラスで覆われているような状態だ。 テニスはやめた。 車の運転もやめた。 人混み多い街を歩くのは緊張して やたらと疲れる。 それでも、仕事は休まず左眼だけでこなしているのは店のスタッフや、たくましいバイトの若者の力添えがあったればこそだ。 片眼を失うということは 五感の感受力もそこねる。 鈍いやつだなぁということになる。 反応が情けないほど、駄目になる。 これが独眼のせいか、しのびよる老いのせいか わからぬが、しばらくはこの不自由な病と共存しなければと覚悟した。 暖かくなればとか、春がくればとか、人はそんな言葉に祈りをこめる。 だから、俺も 「いつかは 見えるようになるよ!」 と、自分をなぐさめながらも、古今東西 伝説の武者がいるもんだなぁと思ったりする。 独眼流正宗、片目のジャック、清水一家の森の石松、丹下左膳 などなど。 力強い役者が揃っているのである。 そして、発症から すでに2か月を経過した。 好転の気配がない。 いよいよ 手術をするしかないと覚悟している。 2月末日。 |