八ヶ岳の山ふところから戻ると東京は35度という強烈な暑さだった。 山の中の涼しさを知ってしまった身体はそのぶん暑さに圧倒されてしまった。 エアコンのきいた部屋でゆっくり休もうなどという優雅を楽しめないという根っからの貧乏性だから、すぐさまプールに出掛けた。 昼下がりの太陽はジリジリと肌にくい込んでくる。 炎天に意識がやられ、何にもかもがそこにあってじっと動かず、“そのままでいやがれ” と思うだけだ。 若い頃、俺は夏の凶暴な太陽が好きだった。 いまこの年になると、そんなエネルギーはないから、ひたすら押し黙って暑さに殉じ、自転車のペダルをこぐ。 そう 四中のプールに向かって。 そのプールは夏休みの週末に限ってだけ開放されていた。 わずか4、5人の人達が黙々と泳いでいる。 若い女達の水着姿を眺めようにも、そのプールには誰一人いない。 謎めいているほど閑散としている。 真夏の激しい太陽の光を反射してプールは青く美しかった。 俺は泳いだ。 静かに、ゆったりと。 俺の全身の影がゆれながらプールの底に映し出されている。 水と光と青が綾なす幻想に浸りながら、これを幸福と呼ばずして何が幸福なのか。 水の中で俺はエクスタシーに酔い痴れていた。 1000m泳いでやめた。 そこから先はエクスタシーではなく疲労にやられるからだ。 小さな幸福はそこかしこに転がっている。 この夏、四中のプールで深い幸福に酔った。 世界はロンドンで熱狂していたが、俺の夏は四中のプールで閉じることにしよう。 |