八戸の女

 ふっくらとした雲の上にのっかっているような、やわらかそうな色白の女がやって来た。 一人ではない。 その後ろにはしっかり優しそうな男が従っていた。 女は初対面だが心が通じているかのように微笑みを浮かべている。 熱燗の酒をうまそうに飲む。
 「私、八戸から来たの。」
 「僕は宇都宮から。」
 二人は遠距離の恋人であった。

 「何で二人がここに来たの?」
 「酒場放浪記を見たから。」
でも、わざわざ三鷹あたりの飲み屋には出向いて来ないだろう。

 「吉祥寺でライブがあって、三鷹のホテルに泊まっている。」
ということであった。
やがて、二人は ボブディランの Blowin' In The WInd に、心をゆるめて多くを語った。

 「私、心も体も疲れてしまって、今は八戸でお母さんと二人暮らしなの。」
 「だから、僕達は離ればなれで、たまにしか会えないけど、今度東京に行く時は絶対、婆娑羅に行こうと決めていたんだ。」

 「切ない二人だねぇ」 としか言えなかったが、テレビ画面に少しだけ映し出された俺の笑い顔なんかにほだされたという、希少な若者をいとおしくながめた。

 そこかしこに、長時間労働、理不尽の極みなるパワーハラスメントは世に尽きることはないのか。 真面目で優しく生きようとする者なればこそ深い苦悩を抱え込む。 俺はそれらの話に耳かたむけることしか出来ない。 現実の生活を背負い心が折れるまで働かなければならない不幸は、決してこの国だけではない。 だが、人を想い、痛みを配慮するだけで世界はよくなるのだ。 勘違いでも幻想でもよい。 そう生きることなのです。

 八戸の女よ! また、俺は待ってるぜ。 優しき彼も大切にね!

追記
 よもや、考え思いもしなかった。 頑強でタフだと思っていた俺の息子も、長時間労働(終電に間に合わない)、パワーハラスメントの被害者だった。 心折れる寸前で、その職場から逃亡した。 すれすれのところだった。

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