2011年の5月

 震災からしばらくたった ある日曜日のこと。 高円寺あたりの青梅街道が休みであるのに異様に渋滞して、人も車もスムーズに動いていない。 そのうち遠くの方から間抜けたどなり声とそれに呼応する喚声が聞こえてきた。

 「もう 原発はイラナーイ!」
 「東京電力は原発をトメロー!」
 「自然エネルギー バンザイ!」
などと、あまり元気のよくない、覇気のない、だらけた声でそのシュプレヒコールは続いた。 そして人がとどまることなく、その行列がだらだらと続くから前に進めない。 歩道には人も自転車もいっぱいだ。 俺の後ろに3人の中学生の男の子が行く手をさえぎられ、イラついてる。

 「あの大人、酒飲みながらデモやってるぜ。」
 「チンドン屋かよ。 原発反対ならもっとまじめにやれよ。」
 「さんざん電力消費の生活を楽しんでいるくせに、いきなり反原発かよ。」
 「俺のお父さんなんか、いままで一度も原発だめだなんて言ったことねぇのに、最近言うことがぜんぜん違うんだぜ。」

 そうだ、そうだ。 俺は心の中でその3人の男の子のお喋りに大きくうなずいた。

 原発の処理が進んでいない中、その汚染がそこかしこと予断できない不気味な広がりをみせている。 いかに俺は原発に対して、無知であったことか、何にも知ろうとしなった怠慢を深く深く恥じる。

 我等、オトナよりも もっと前の時代のオトナによって原発の国家政策が始められた。
  「国家 百年の大計を鑑み、我が国のエネルギーはいかなるものとするか。」
 こんな言葉で天下、国家を論じられると。
 ああ、この人は何て立派で高潔で力強い方なんだろう。 こんな人の言うことを聞いて、そのように従って生きていたら、人間は幸せになれるんだと暗示にかけられてしまう。 俺もまた、天下、国家の論には弱いオトナだ。 人類を幸福にいざなう原発は、その志とは裏腹に人類に対し、見事な悪態をついてみせたのである。

 国 亡びて、尚、山河あり と言うが、原発の事故は家も山河もないものにしてしまった。 唯、終わりのない果てしない戦いを背負わされてしまった。
 見えない、わからない、そんな敵との戦いを 人類は受容しなければいけない宿命だったのだろうか。。。


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