深夜のメールは息子からだった。 「1月2日の試合は 俺のラグビー人生で一番の大舞台です。 今まで応援してくれた分、きっちり恩返ししたいと思います。 死ぬ気で早稲田と戦ってきます。」 その気合い、その言葉に魂を揺さぶられ 眠ることが出来なかった。 眠られぬまま国立競技場に向かった。 試合にのぞむ選手の親御さんは、誰もが俺と同じような心境であろうか。 5万人の観客が見守る中、試合は始まった。 開始7分、最初のケガ人が出た。 13番のバイスキャプテン衛藤君だ。 俺の前列で観戦していた御家族は無言で、担架にのせられているのをながめている。 それでも、試合は拮抗して、選手権にふさわしい緊張感があった。 ハーフタイム直前、また選手が倒れた。 10番の田村君だ。 やっとのことで立ち上がると、なんとかペナルティキックを決めたが、控室に戻るその足取りは痛々しく、苦しげであった。 「だめだ、もうプレーは無理だ。 横向いちゃだめだとあれほど言ったのに!」と、つぶやいた。 隣の席だったので、そのつぶやきがはっきりと聞こえた。 田村君の父上はトップリーグの監督でもあるのだ。 俺にはわからなかったが、横を向いた一瞬に脇腹にタックルされたと、俺に説明してくれた。 リザーブにスタンドオフを出来る選手はいない。 息子がそのポジションに立った。 高校以来やっていない。 気合でとか魂でぶつかれとかの問題ではない。 この時点で拮抗していた試合は崩壊した。 一方的に早稲田だけの試合となった。 その後も3人目、4人目とバックスの怪我退場が続いた。 土石流に押し流されて倒壊していく家を見ているようだった。 俺は早く試合が終わることだけを祈った。 こうして、俺の初夢は悪夢となって霧散消滅した。 この悪夢を語るのにひと月もかかったが、当の息子はその試合の2日後には何事もなかったかのように正月の料理をほおばっていた。 だが、その心も体も酒は受けつけなかった。 敗戦の兵士がいとおしくてたまらなかった。 |