信州佐久の切なき
辛み大根

「45年前、俺は田舎の中学を卒業すると、仲間 何人かと集団就職で東京にやって来たんだ。 東京は大都会で、何もかもがめずらしくて、華やいでいて、大きなエネルギーいっぱいの世界だった。 俺達は電力会社の寮に住み込み、そこから電力会社の学校に通った。 素朴で初々しい仲間との生活はとても楽しく充実していた。 優しい先輩、うっとうしい先輩、そしてよからぬ遊びを指導してくれる軽薄な先輩など色々いて、俺達は都会の社会人として成長していった。 わずかだが田舎の親父とお袋に仕送りもした。 5人兄弟の4番目の次男だから、田舎の家には俺の居場所は既にあるか、なしかだった。 だから、俺は淋しくても、悲しくても、何んでも東京に出るしかなかった。
 まじめに働いた。 電力会社は俺達を現場の技術者に育て、生活を保障してくれた。 だから、俺でも世間並みの結婚が出来た。 30才になっていた。 先輩の紹介だったが、好きになった はじめての女の人だから、半分は恋愛なんだと俺は思っている。 その方が少しだけ自慢できる気になるからだ。 自主性ってやつかな。
 二人の娘に恵まれた。 可愛くて、楽しくて、休日になると連れだって動物園やデパートに行った。 父親として幸福の絶頂にあった。 のに、思春期、中学に入った頃から娘たちは俺を疎んじるようになった。 会話がない、返事がない、無視の仕草。 そして、女房までがその娘達を咎めない。
 俺は己れを捨て、会社に、家族に忠義を尽くし、ひたむきに生きて来た。
 多少の不便はあっても、少し遠い郊外に家も買った。 暖かい団欒の家族は幻想だった。 家族のない孤独より、家族がそこに居るのに孤独というやつは、本当につらいよ。 郊外の遠い自宅が、信州の佐久よりも俺には遠い所になっちゃったよ。
 こないだの休みに兄貴の所に帰ったんだ。 兄貴が作っている辛み大根なんだ。 うちの女房に食べさせたら、こんな辛い大根、私も娘達も食べないって拒まれちゃったよ。 実家の兄貴は辛み大根とセロリを作っているんだ。 次の休み また帰ってセロリ持ってくるよ。」

 来年、定年退職のお父さんに辛み大根をおろし、シラスをのせてカウンターに出した。
 人は心はぐれると北を目指すのか。 佐久は都から真北にあたるよな。


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