いくら、平服でよい、と言ったって普段着で行けるかよ。 場所は六本木だぜ。 泉タワーの住友会館だぜ。 美男、美女カップルの華麗なる婚姻のパーティだぜ。 ってなことになり、平服しか持ち合わせていない俺は、押入れの奥に眠っているイギリス調のオーソドックスな格子縞の上着をひっぱり出した。 そして白いワイシャツにエンジ色のネクタイ、“なかなかイケテル” 俺はさっそうと泉タワーに向かった。 コートを受付に預け、専用エレベーターで42階まで上がる。 異変に気付いたのはその時である。 下げている左手に布が絡みついている。 気品と格調をみなぎらせているイギリス調の伝統的ジャケット、糸がほぐれ黒い裏地がだらしなく左手のところまで垂れ下がっているのである。 エレベーターはまっしぐらに42階へと向かっている。 帰れるものなら家に帰りたい。 心細く動揺した。 情けないやら、侘びしいやら。 自分がひどく貧稚で場違いな貴族の階段を登っているようで、いたたまれなかった。 「ああ、どうしよう!」 その想念ばかりが空転し、眼下に広がる六本木の街がうらめしかった。 エレベーターがとまり扉が開いた。 広いレセプションルームにはパーティに出席する老若男女がそれぞれにおしゃれをしてグラスを片手に雑談をしていた。 俺は下がった裏地を左手のズボンのポケットにつっこんで右手だけで生き抜く体制をととのえた。 そうだ「石原裕次郎」になればよいのだ。 と思うと、俺は急にイカシタ男に変身した。 ポーズを決めた。 顔見知りの若い女が飲み物を持って近づいてきた。 「大沢さん、シックでとてもステキ」 なんてことを言われ、ズボンのポケットに突っこんでいる左手は、一層力み汗ばんだ。 座らないかぎり障害者のように不自由で、右手だけの人生であった。 宴が始まった。 驚くなかれ! その宴の司会者は、知らぬ者がいないほどの高名な美人ニュース・キャスターであった。 さわやかで美しい口調で、いやがうえにもパーティは豪華絢爛に盛り上がっていった。 加えて、経験したことがないような極上のフランス料理の数々が目の前に展開され、俺は酔いしれた。 もはや、垂れ下がった裏地など、どうにでもなれといった心境になった。 両手で料理を楽しみ、左手で堂々とワイングラスを握りしめ、グイグイと飲んだ。 ゴージャスな宴、美男美女、気品と格調、そして祝服。 俺は垂れ下がった黒の裏地を呪いつつも、六本木42階の華燭の宴を忘れない。 幸、多かれと深くお祈りいたします。 2010.4.某日 |