「これも何かの縁か」 ただそれだけの言葉で、引き受ける理由も根拠もないその男を、婆娑羅の見習いとした。 オカムラという事務機器の大きな会社のタイ駐在員であった時、運命のカナダ人女性とめぐり会った。 それから二人は、会社をやめ、カナダに渡り、食い物商売を始めようという暴挙を企てた。 もちろん料理など趣味程のものだ。 少しばかりの自己資金が救いだった。 もし、俺の息子が外国の女と恋に落ち、結婚することになったら、俺は即座に、日本で暮らせと告げる。 いかに偏屈で料簡が狭かろうが、無理解で乱暴であろうが、言うべきことはきっちり告げるというのが普段からの俺の覚悟だ。 なぜなら惚れれば女に屈するのが男の性か。 この小谷君も、まぎれもなく女に惚れこみ、日本の知人縁者、肉親兄妹を泣かせて、かの地に恋人を追いかけて行ってしまった。 ほぼ一ヶ月ではあったが、小谷君には婆娑羅が培った料理に関する知識とワザを余すところなく開示した。 もとより包丁など手にしたことはない。 高知の大学で4年間ラグビーに明け暮れ、肉体は頑丈だが料理を作る精彩に欠ける。 それでも食い物に対する眼先と味覚がしっかりしていた。 生まれ育った家柄のなせることだ。 幼少時に美味しい物の恩恵を充分に浴しているからである。 小谷君のやる気とやらねばならぬ悲愴な決意で一ヶ月を婆娑羅で過ごした。 それが終ると、すぐにカナダへ飛んだ。 ああ、あとは野となれ山となれである。 俺の知ったことかという心境であった。 以来、今年の秋で7年目となった。 カナダ、ヴィクトリア州のカンムループスという大自然にかこまれた田舎街で日本料理店を商っている。 経営も順調、夫婦仲も順調、まあこいつばかりは憶測ではあるが、我等に対しての心遣いが、それを物語っているように思える。 「これも何かの縁か。」 その言葉はカナダから年度に届けられる見事な松茸に力強く実ったということです。 いつかはKamloopsに確かめに行くぞ。 2009.10.11 |