@
いつも深いエグミと青草の香りを含み、丸のままかじると、誰もいないのを確かめてから、もぎ取ってバラバラと逃げ散ったトマト畑の記憶がよみがえる。
大好きな尾瀬のトマト、この夏ははかばかしくなかった。 日照りの不足がたたった。 それでも尾瀬トマトをかじった。 果肉のたくましさはあるが、口の中で暴れる野生的な酸味と甘味が欠落していた。
再びの年を願おう。
A
菅平へとそれていく国道の分岐点の手前に、そのドライブ食堂はあった。 70歳くらいの夫婦が二人で切り盛りしていた。
息子のラグビー合宿が始まった時から、今年は六回目の夏になった。 菅平に登って行く時、菅平から降りて来る時、必ずそこのラーメンをいただいた。 ほめそやす程の味はない。 見下すにはあまりにも優しく素朴でしみじみしている。
いつも、ていねいに運んでくれるそのラーメンとオバサンをゆっくりながめながら、今年も菅平に来たなあと、向かい側の女房に無言の合図を送るのである。
そして、その食堂は、今年の夏、終わっていた。
B
俺は何様でもないから、かん高い声で「いらっしゃいませー」と言われるのが嫌だ。 元気がよくて景気もいい店ならまだしも、元気ばかりで景気がともなっていないとなると、その店の、のっぴきならぬ内状を見せつけられている気分になってしまう。
数ある純米酒の味がひなびている。 よく回転していない食材が見えてしまう。 となると、店の者の元気がますます空騒ぎに聞こえる。
元気な大声がサービスなんだと本気で考えているとしたら、とんでもない心得違いだ。 店の名は言わない。 俺はもう、行かない。
C
入口の戸を開けると、沢山の男達がひとり静かに酒を飲んでいる。 ここはどこなんだ。 飲み屋じゃねぇのか。 問いたくなる。
俺も静かに飲み始める。 店の人は静かだが、優しくていねいで、いささかの威厳もいだかせない。 酒も肴も、さっと速やかに出してくれる。 やがて男達の会話、ざわめきがいたるところから、ゆっくりと湧いてくる。 むずかしい酒場ではない。 酒好きな男達のよりそう店で、俺は今年の夏をしめくくった。 大塚駅 近く。
|