秩父の画伯

 深く暗い緑をわけ入って、ようやく空が広がった。 
 四、五軒の家々が急斜面に寄り添うようにあった。 小さな部落の一軒を借り、一人暮らしには広すぎる家に画伯は泰然と暮らしていた。

 昼に山を駆け巡り、本職の木こりとして枝打ち、下草刈り、伐採の仕事をこなす。 気が向けば、野草、竹の子などを取って料理をする。 夜は広いアトリエで巨大なキャンバスに挑む。 その絵は深山幽谷には似つかわしくない、都会的で軽妙な明るい色調にあふれていた。 曼荼羅図のようにも眺められた。

 絵などどうでもよい、と言わんばかりに俺達を山に連れ出した。 軽快な足取りで山に入っていく画伯は早くも天狗と化していた。

 「ほら、これも、あれも、その向こうも、みんな柚子の木なんだ。」
うれしさがこみあげて来た。 もう、これで秋になる度に難儀をしてきた柚子の調達が楽になるぞ。

 国道299号は埼玉県の中央を秩父山中に向って真直ぐ走っている。
 俺達は柚子を求めてひた走った。 秩父は遠かった。 満願の湯というひなびた温泉宿が途中にあったが、俺達は早く画伯に会いたかったので目もくれずに走った。
 いまどきインターネットで柚子と検索すればたちどころに何がしかの情報がつかみ取れる。 しかし生身の仙人、天狗、画伯に会えることはない。 秩父の山奥は魔界のようだ。 何故にこの地に無用な柚子の木がおびただしい程に野生化して生育しているのだろう。

 平家の落武者が日野沢に部落をつくり、ひっそりと暮らす。 そして柚べしなる茶受けを作り、生業の足しにしていたという説をゆっくりとした口調で画伯が語る。 だから、そこかしこに立っている柚子の木は落武者達の亡霊が宿っているのだ。
と言って、手土産のまんじゅうをニンマリしながら食っていた。

 この秋、魔界から沢山の柚子が落ちてくる。 俺は血を絞るようにその果汁を丁重に受ける。 そして、ポン酢へと熟成させる。 年事の儀式として、画伯が魔界に転生されるまで婆娑羅のポン酢は造り続けられるだろう。

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