「いまは昔、竹取の翁というもの有けり。 野山にまじりて竹を取りつつ、よろづの事に使いけり。」 云々と。 言わずと知れた竹取物語、かぐや姫の冒頭の一節だ。 俺のじいさん(とっくにこの世にいない母方の祖父)名を初五郎という。 明治の25年に生まれ、80歳近くまで生きた。 その時代に生きた多くの農民がそうであったように寡黙で働き者で、忍耐だけの人生を生きた。 寒い冬の朝、一面の霜におおわれた畑で、黙々と麦踏みをしていた。 シンシンと外は雪が降りしきる、ある日、重い石臼をゴロゴロ廻しながら蕎麦を粉にしていた。 夏の強烈な太陽の下、麦畑は豊かな力強い緑が美しく、雑草など殆んどない美しい畑が広がっていた。 それは黙々と地にひれ伏して草をむしる初五郎じいさんのワザだった。 そして、ひとり額に汗水流して働いている傍らに、小さな子供だった俺はよく遊んだ。 初五郎じいさんの深い静かな勤労に魅せられたかのように。 新緑が萌える頃、初五郎じいさんも又、竹取の翁になった。 広い畑の北側の片隅に竹やぶはあった。 あたかも、寒い北風から畑を守るかのように、防風林にも見えた。 その竹林には数匹のニワトリが放し飼いにされていた。 産み落とされた、汚れがついている白い卵がよく見つけられた。 初五郎じいさんは、ニワトリを払いのけるように、当たりをつけたところめがけてスコップを入れる。 子供の俺にはそこに竹の子があるなど思えなかった。 次から次へと翁は竹の子を掘り出して行った。 そして、一言だけ俺に言った。 「ほれ! かあちゃんのとこ持ってけ。」 大きな、大きな、泥だらけの竹の子を胸元にあてがった。 ずっしりと重い竹の子を抱きかかえ、一目散でお袋のところに持ち帰った。 戦利品のように誇らしく輝いていた。 が、しかし、子供の俺には竹の子の味は少しも幸福ではなかった。 俺はただ、初五郎じいさんの黙々と働く姿に魅せられていた。 新緑の頃になると竹取の翁の情景が、緑の風の中でゆれる。 そして、年を重ねる程に、増々、筍の味に酔いしれるのである。 尚、この写真は大分の日田から届けられた、最高の筍でした。 たっぷり堪能致した次第です。 悪しからず! |